怨霊
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怨霊(おんりょう)とは、主に、心霊や一部の宗教、また、それらをテーマとした講談、マンガ、映画、ドラマなどで用いられる、一般的に人間の目には見えず、敵意や悪意を抱いているとされる、超自然的、または、霊的存在。加えて、先に挙げたフィクション等で用いる場合は、例外として、また、視覚効果を上げる上で、物質化する時もある。そのほとんど全ては、後述する性格上、悪霊に分類される。
ある特定の人間が、事故や事件、争乱、刑罰や処刑、他者からの過度な精神的または肉体的圧迫などによって死に至った場合、主に宗教上用いる昇天や成仏をせず、強い念(怨念)を抱いたままこの世に留まり、自らを死に至らしめた相手を呪い、時には、その相手を死にまで至らしめることによって、自らの仕返しの思いを遂げ、欲求を満たすという、(一部の)宗教上、心霊上での概念や、その超自然的存在自体を指す。また、前述の「怨念(おんねん)」とは、その超自然的存在の、「祟りの結果として、表面化し、相手に影響を及ぼすに至る」とされる「思念」を指す。
日本においては、平安時代の菅原道真や崇徳上皇の祟り、江戸時代に、「田宮家で実際に起こった、妻のお岩にまつわる一連の事件」を、当時の、「四世鶴屋南北」が怪談として脚色した、「東海道四谷怪談」などが挙げられる。また、明治時代に、東京で起きたとされる、某・旧省庁内における、「平将門の『首塚(くびづか)』移転などにまつわる数々の祟り」など、不特定多数の人間によって確認されたとする、怨霊に関する現象もあったが、「呪い(のろい)」と呼ばれる行為や現象同様、科学的には現在なお、実証不可能である。
また、そういった考えを有し、主張をする者は概して、「その怨霊化したとされる者の、死んだ場所や墓所を荒らしたり、時に、不用意にそういった場所の近くを通りかかったりしただけの、生きた人間に対してさえも、祟る場合がある」、といった見解を持っていることが多い。
日本に於いても、各時代や地域によって、「死者は聖なる存在」、「死者は忌み嫌うべき存在」、「自然死以外は、悪霊化し、生者に祟る」等、様々な宗教観を持っていたといわれている。「江戸時代に至ってもなお、庶民は、一般的に怨霊に対する畏怖感、恐怖感を抱いていた」という、民俗学上の分析もある。
また、いくつかの神社などにおいて、一部の皇族や武将を除く、実在した歴史上の人物が神として祀られている多くの場合も、「当初、その(祀られている)人物が、暗殺や反乱などによって殺害されたもので、それが怨霊化し、祟りをなすのを畏怖して祀った結果によるもの」という見解を持つ研究者も少なくない。実際にも、日本三大怨霊とされる、菅原道真は太宰府天満宮(福岡県太宰府市)や北野天満宮(京都市上京区)に、平将門は築土神社(東京都千代田区)や神田明神(東京都千代田区)に、崇徳天皇は白峯神宮(京都市上京区)にそれぞれ祀られている。