志願兵
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志願兵(しがんへい)は、職業軍人や義務徴収兵ではなく、自ら進んで兵士になること。義勇兵とも言う。英語ではVolunteerだが、日本語のボランティアは非軍事的な志願者に限定される。
国民国家が近代的国民軍を編制するのにともない徴兵制、国民皆兵制が採用されてきたが、現代の、特に先進国の軍隊では兵員に複雑な兵器を扱う高い錬度が要求されるので、志願制に移行する国が多くなっている。
このため志願制をとる国では志願兵に対し一定水準の学力を求めることが多い。例えばアメリカ合衆国軍は入隊者に対し後期中等教育の修了資格を求めている。
スペイン市民戦争(スペイン内乱)では多くの文化人が自発的に戦争に参加し、その中にはアーネスト・ヘミングウェー(『誰がために鐘は鳴る』)やアンドレ・マルロー(『希望』)、ジョージ・オーウェル(『カタロニア賛歌』)などもいた。いずれもその体験をモチーフにした作品を残している。
日本では1883年の改正徴兵令で17歳以上20歳未満の者に志願兵を認めた。海軍では専ら一般志願者及び同様の意味を持つ将校候補生育成を目的とした海軍兵学校出身者から取るのを基本として、戦時及び深刻な人員不足時以外に徴兵が行われる事はなかった。一方、陸軍では、予備役幹部育成の為に1年制の志願兵制度(1927年以後は幹部候補生制度と改称)を中等学校卒業以上の高学歴者に対して認めて徴兵の代わりとすることを認めた(ただし、費用は志願者負担)。1927年の兵役法制定以後、少年兵制度が導入され、軍楽隊や通信・航空・機関・戦車などの特殊技術習得の為に14歳以上17歳未満の少年達を募集した。
日中戦争の激化した1938年から朝鮮、1942年から台湾で陸軍特別志願兵制度が、1943年8月からは朝鮮・台湾で海軍特別志願兵制度が、1944年からは対象を高砂族に限った高砂特別志願兵が施行された。このうち台湾原住民の志願兵で構成された高砂義勇隊が有名である。
1950年に始まった朝鮮戦争で中華人民共和国は中国人民志願軍を朝鮮に派遣したが、志願軍は中国本土への攻撃を避けるための名目で、実際には人民解放軍の正規部隊だった。しかもこの部隊には元国民党の兵士が多数おり、その背後に共産党の督戦隊が待ち構え、絶望的な突撃をさせるものであった。
アメリカ軍ではベトナム戦争後に徴兵制が廃止され、志願制に移行したがスラム街に住む貧困世帯から軍が行う好待遇のキャッチコピーに惹かれて志願する兵士が後を絶たない。近年では多くのイスラム教徒志願兵がソビエト連邦のアフガニスタン侵攻やボスニア紛争でイスラム側に参加した。