徳美藩
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徳美藩(とくみはん)は、甲斐国(現在の山梨県甲州市塩山三日市場)に存在した藩。
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[編集] 藩史
徳川忠長改易後の寛永10年(1633年)2月、幕臣の伊丹康勝は下総国相馬郡の内にあった9000石の所領から3000石を加増されて1万2000石を領する大名となり、甲府城番に任じられた。このとき、徳美藩が立藩されたと言ってよい。しかし康勝は佐渡奉行・勘定頭などの要職を歴任したため、藩の統治は長男の伊丹勝長が行なっていた。承応2年(1653年)6月3日、康勝は79歳で死去し、家督は勝長が継いだ。しかし勝長は寛文2年(1662年)3月27日、江戸の役宅において一色直正に刺殺されてしまった。このため家督は勝長の長男・伊丹勝政が継いだ。勝政は黒川金山の開発や近江水口城の守備などで活躍し、元禄4年(1691年)7月15日に67歳で死去した。
その後を嫡男の伊丹勝守が継いだが、この勝守は精神異常者だったのか、元禄11年(1698年)9月、発狂して自殺した。このときのことを『廃絶禄』では、「9月15日、26歳で失心。厠にて自害す。よって領地を収らる」とある。こうして徳美藩は4代をもって改易となり、その所領は没収となったのである。
[編集] 歴代藩主
[編集] 伊丹(いたみ)家
- 伊丹康勝(やすかつ)
- 伊丹勝長(かつなが)
- 伊丹勝政(かつまさ)
- 伊丹勝守(かつもり)