後藤隆之
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後藤隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、日本の社会人野球の選手。三菱重工長崎硬式野球部に所属する投手である。
宮崎県延岡市出身・178cm85kg・右投左打。背番号11。
[編集] 球歴
延岡市立土々呂中学校から宮崎県立延岡高等学校、九州東海大学を経て1993年に三菱重工長崎硬式野球部に入部した。140km/hを超えるストレートとスライダーで注目を浴びたが、肘痛や腰痛に悩まされ、一時は引退も考えたという。
内薗直樹、貝塚政秀、開田博勝、伊藤大輔らが台頭した1999年には後藤も先発の柱として活躍した。都市対抗野球大会は九州第二代表で出場を果たし、本選でも順調に勝ち上がった。しかし決勝の東芝戦では、先発した後藤が打たれ、後続も打ちこまれて0 - 12で敗れた。
翌2000年には入部2年目の左腕・杉内俊哉が台頭し、後藤とのダブルエース体制となる。また、貝塚がプロ入りした後の正捕手には河田寿司が抜擢された。杉内の剛速球主体の若さ溢れるピッチングとは対照的に、後藤は無駄のないフォーム、多彩な変化球、球威の衰えぬ速球、そして制球力に磨きをかけて円熟味を増していった。100km/hそこそこのスローカーブでカウントを稼ぎ、スライダーで泳がせ、シュートで詰まらせ、フォークで空振りを奪う。さらに要所では気合と共に140km/h中盤の速球を投げこむピッチングに、相手チームの打者は翻弄された。
2001年、三菱重工長崎は社会人野球の金属バット使用が最後となる社会人野球日本選手権大会に九州第二代表で出場した。前評判は高くはなかったが、後藤は初戦で強豪・日本生命を6回2失点に抑え、勝利の立役者となる。打線も奮起し、万全ではない杉内も準決勝の日産自動車戦で好投するなど、投打が噛みあった三菱重工長崎は決勝進出を果たす。
決勝の対戦相手は2年前の都市対抗決勝でKOされた東芝だったが、効果的な打線の援護もあり、後藤は2年前の借りを返す2安打完封をやってのけ、5 - 0で東芝を下した。最後の打者・平馬淳をショートゴロに打ち取った後藤は歓喜の輪に呑みこまれた。先発3試合で3勝、22回3失点・防御率1.23を記録した後藤は最高殊勲選手賞(MVP)にも選出された。
翌2002年は第14回アジア競技大会野球日本代表、2003年は第35回IBAFワールドカップ日本代表に選出された。手嶋亮介、松永浩典らが力をつけてきた2004年頃からはリリーフに回ることも多いが、35歳を超えてもなお140km/hの速球と投球術は健在である。
[編集] 個人表彰・日本代表キャリア
- 2000年JABA九州大会敢闘賞
- 2001年社会人野球日本選手権大会最高殊勲選手賞、社会人ベストナイン
- 2002年JABA岡山大会敢闘賞、第14回アジア競技大会野球日本代表
- 2003年第35回IBAFワールドカップ日本代表