ノート:張コウ
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[編集] 張コウを謀殺
司馬懿が張コウを謀殺というのは陳舜臣ですね。『秘本三国志』です。か『諸葛亮』だったと思いますが。恐らく陳氏の完全創作と思われます。陳氏はこう言う共謀話が好きですから。らりた 2006年6月28日 (水) 15:20 (UTC)
- ああ、陳舜臣ですか。他の記事でも陳氏のオリジナルが一杯紛れ込んでるんでしょうけど、こういうのはきりがないですね。Aboshi 2006年6月29日 (木) 12:47 (UTC)
[編集] 没年月日
生没年月日について論じるときには必ず問題になることだとは思うのですが。『蜀志』の「後主伝」で確かに「夏六月」とありますが、建興九年のそれは、西暦で言うところの231年の7月17日から8月15日あたりを指すことになると思います(そんなことを言ったら、「年」の表示も怪しくなる人物がうようよ出てくるわけですが。ちなみに「諸葛亮伝」の『漢晋春秋』で、王平vs張コウは、(太和五年)五月(6月18日から7月16日)とありますので、231年6月の可能性もあることにはありそうですが…)。... Kanoe 2006年6月28日 (水) 17:33 (UTC)
- その通りですね、ひとまず月は外しました。「年」の表示については確かに悩みどころで、例えば三方ヶ原の戦いは元亀3年12月22日のことで一般的には1572年のできごととして扱われますが、西暦に直せばもう1573年が明けちゃってますもんね(ユリウス暦にせよ現行暦にせよ)。この問題は月・年についていづれも当時の暦を先に記す「光緒24年4月23日(1898年6月11日)」ことである程度は回避できますが、あまり文中で繰り返すとうっとおしいですしね。ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、同じ問題を共有している方がいるとわかったので少しうれしかったです。もう少しこの問題は考えてみたいですね。Aboshi 2006年6月29日 (木) 12:46 (UTC)