弓削皇子
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弓削皇子(ゆげのみこ、生年不明-文武天皇3年7月21日(699年8月24日))は天武天皇の第9皇子(第6皇子とも)。母は、天智天皇皇女の大江皇女。長皇子は同母兄。
高市皇子没後の後継者選定会議で発言しようとして、葛野王に叱責された(『懐風藻』)ことは有名。699年、母や兄に先立って死去。『万葉集』には8首の歌が収録されている。その中には柿本人麻呂から 献じられた歌や、異母姉妹の紀皇女を思って作った歌、額田王との問答などもある。
梅原猛著『黄泉の王』では、高松塚古墳の被葬者に比定されている。
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