式守伊之助 (29代)
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29代式守伊之助(にじゅうきゅうだい しきもりいのすけ、1935年8月28日 - 2004年2月2日)は、大相撲の立行司。本名:池田貢。1946年(昭和21年)11月場所初土俵。和歌山県出身。春日野部屋所属。初土俵時の行司名は木村貢。
1993年(平成5年)11月場所限りで28代木村庄之助が引退、立行司が不在となり、式守錦太夫、式守勘太夫とともに式守伊之助の襲名を争った。このときは序列下位の錦太夫が伊之助を襲名したが、1995年(平成7年)1月、大関・貴乃花の横綱昇進とともに29代式守伊之助を襲名。
不屈の闘志を持つ行司で、控えに入っていた際に力士の下敷きとなり、左手首を骨折したのにも関わらずその後の裁きをしたこともある。 善之輔時代、そのテンポのよいかけ声で特に寺尾や琴錦などの取り口の早い力士の土俵を盛り上げた。
晩年は体調不良との闘いで、そのため足裁きがあまり素早く出来ず、差し違いが目立ったり、力士もろとも土俵下に転落したりするなど、立行司としての評判が良くなかったのは惜しまれる所である。1場所3度の差し違えを記録したこともあり、「差し違えの伊之助」との二つ名がある。