嵯峨本
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嵯峨本(さがぼん)とは、日本の近世初期に行われた古活字本である。京都嵯峨の豪商、角倉家が本阿弥光悦らの協力を得て出版を行った。角倉本、光悦本ともいわれる。
16世紀末にキリシタン版や朝鮮半島から活版印刷術が伝わったことに刺激を受けて、日本でも次第に出版が盛んになってゆくが、その最初期のものの一つが嵯峨本である。当時の京都には富を蓄積した商人、五山版以来の職人、読者層が存在していたことが嵯峨本が生まれた背景である。
藤原惺窩ら儒学者とも交友を持った角倉素庵(了以の子)が出版業を思い立ち、本阿弥光悦、俵屋宗達らの協力で出版したものが嵯峨本といわれる古活字本である。17世紀の始め(慶長・元和期)に作られ、雲母刷の用紙を使ったり、装丁に意匠が凝らされた豪華本であった。
内容は古典文学が主で『伊勢物語』『徒然草』『方丈記』のほか、謡曲の本が残されている。
嵯峨本は一文字一文字の活字を組み合わせるのではなく、光悦が書いた縦書き、崩し字の文字を数字(2-3字など)単位で木活字に作り、組み合わせて製版していた。制作に手間がかかり、また繰り返し版を重ねるには木版印刷の方が容易であることから、やがて木活字は衰え、日本の印刷の歴史は活字印刷から木版印刷に逆行するような形となった。
[編集] 関連本
- 辻邦生『嵯峨野名月記』 嵯峨本をテーマにした小説