島津朝久
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島津 朝久(しまづ ともひさ、? - 文禄2年(1593年))は、戦国時代の薩摩の武将。薩摩島津氏の分家、豊州家6代当主。父は5代当主、島津忠親で次男。兄に北郷氏当主となった北郷時久がいる。通称藤二郎。官は豊後守。室は御屋地(島津義弘の女)、子に島津久賀、長寿院(島津家久(初代薩摩藩主)の養女、松平定行の室)ら。
天正6年(1578年)、島津家が伊東氏を討ち日向を手に入れると宮崎の領主となり、大友氏との耳川の戦いでも活躍した。同14年(1586年)、筑前岩屋城攻めにも参加している。秀吉の九州征伐の際に降伏、大隅平房・市成(現鹿児島県鹿屋市輝北町)の領主となる。文禄元年(1592年)、文禄の役では朝鮮へ渡ったが、翌年巨済島で病没した。