岩屋城
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岩屋城(いわやじょう)は筑前国御笠郡(福岡県太宰府市浦城)にあった城。戦国時代末期の1586年、島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦で知られる。
[編集] 歴史
築城は天文年間に大友氏の武将・高橋鑑種と伝えられる。しかし高橋鑑種は主君・大友宗麟の傲慢な振る舞いに憤り、反旗を翻したために城を逐われ、吉弘鎮種が高橋氏の名跡を継ぎ「高橋鎮種」と名乗り城主となった。
天正14年(1586年)、九州制覇を目指す島津氏が急速に伸張し、岩屋城にも5万ともいわれる軍勢で攻め寄せる。紹運(高橋鎮種の出家後の名)は七百余名と共に篭城。2週間の間、頑強に抵抗したものの、各出城や砦が次々と陥落、虚空蔵砦を守備する福田民部少輔も討死するに及び、紹運も抵抗を終え、敵味方見守る中、天守に登って自害した。
しかし紹運らの必死な抵抗で島津軍にも大きな被害が発生し、宝満山城は開城させたものの。その先の立花山城に籠る立花宗茂の策略にかかり時間を浪費する破目となった。この間に豊臣秀吉の九州征伐先鋒の毛利軍が豊前国に上陸し、島津氏は撤退を余儀なくされた。
[編集] 城の構造
291メートルの山の中腹にある。現在は堀切や土塁が残る。
[編集] 関連項目
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