岸和田城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
![]() |
|
復興天守 | |
通称 |
千亀利城 |
城郭構造 |
輪郭式平城 |
天守構造 |
5重5階(創建時) |
築城主 |
和田高家 |
築城年 |
1333年 |
主な改修者 |
小出秀政 |
主な城主 |
小出氏、岡部氏 |
廃城年 |
1871年 |
遺構 |
石垣、堀 |
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町にある城。大阪府指定史跡。
目次 |
[編集] 概要
別名猪伏山(いぶせやま)千亀利(ちきり)城。
1333年(建武元年)楠木正成の家臣・和田高家によって築かれた。 これは現在の岸和田城から約500m東にあり、現在でも古城の地名が残る。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の家臣・小出秀政が3万石で入封し本格的な城砦として大改修され、5重5階の天守という威容を誇った。
1640年(寛永17年)摂津高槻城より岡部氏が入城し、以後岡部氏13代の居城となる。 1827年(文政10年)落雷のため天守が焼失し、以来再建されなかった。
現在の天守は1954年(昭和29年)に再建された3層の復興天守。
[編集] 特徴
[編集] 犬走り
現存する内堀石垣の下部に周堤帯が存在する。これを犬走りと呼ぶ。 城の防衛という見地から見ると非常に不利であり、なぜこのような構造にされたかはわかっていない。 脆い泉州砂岩で造られた石垣が崩れるのを防ぐためという説が有力。
[編集] 岸和田の地名
岸和田という地名の由来はいくつかあるがそのうちの一つに、元々岸という地名であったこの地に和田氏が入り、岸の和田氏と呼ばれたことから岸和田となったという説がある。
[編集] 岸和田だんじり祭
有名な岸和田だんじり祭りは岡部氏3代目岸和田城主長泰が城内三の丸に伏見稲荷神社を勧請し、五穀豊穣を祈願する稲荷祭りに領民の参拝を許したことが起源とされる。