岐阜県立岐阜北高等学校
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岐阜北高等学校 | |
設置者 | 岐阜県 |
創立 | 1930年(昭和5年) |
校訓 | 変わらぬ色の三つ柏 若き生命 高き志操 ペンの象る英知をもちて |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒502-0931 岐阜市則武清水1841-11 |
電話番号 | 058-231-6628 |
外部リンク |
岐阜県立岐阜北高等学校(ぎふけんりつ ぎふきたこうとうがっこう)は、岐阜県岐阜市則武清水にある公立高校。
通称は北高(きたこう)。県内有数の進学校である。
目次 |
[編集] 学校概要
- 変わらぬ色の三つ柏
- 若き生命 高き志操
- ペンの象る 英知をもちて
- 制服
- 男子は詰襟の学生服、女子はブレザーが指定されている
- その他
[編集] 沿革
[編集] 岐阜市立女子高等学校
- 1905年(明治38年) 長良尋常高等小学校に長良農業商業補習学校女子部が設置される
- 1914年(大正3年) 長良農業商業裁縫補習学校に改称される
- 1930年(昭和5年) 長良実科女学校と改称される(本校ではこの年をもって創立としている)
- 1940年(昭和15年) 高等女学校に昇格のため岐阜市立長良実科高等女学校となる
- 1942年(昭和17年) 岐阜市立高等女学校に改称される
- 1948年(昭和23年) 学制改革により岐阜市立女子高等学校となる
[編集] 岐阜市立農業高等学校
- 1946年(昭和21年) 岐阜市立農業学校が開校する
- 1948年(昭和23年) 学制改革により岐阜市立農業高等学校となる
[編集] 岐阜市立高等学校
- 1941年(昭和16年) 岐阜市立中学校が創立される
- 1948年(昭和23年) 学制改革により岐阜市立高等学校に昇格する
- 1948年(昭和23年) 学校再配置により岐阜市立女子高校・岐阜市立高校・岐阜市立農業高校が統合され「岐阜市立高等学校」となる
- 1950年(昭和25年) 校章が制定される
- 1951年(昭和26年) 校歌が制定される、農業科が岐阜農林高校に移管される
[編集] 岐阜県立岐阜北高等学校
- 1956年(昭和31年) 岐阜県に移管され、岐阜県立岐阜北高等学校と改称する
- 1974年(昭和49年) 学校群制度が始まる(岐阜北高校は第4群で加納高校と、第3群で岐山高校との総合選抜)
- 1983年(昭和58年) 学校群制度が終わり再び単独選抜となる
- 1992年(平成4年) アメリカのカトリン・ゲイブル校と姉妹校になる
[編集] 学区
岐阜学区全域から進学可能
[編集] 姉妹校
- アメリカオレゴン州のカトリン・ゲイブル校 The Catlin Gabel School(英語版)
[編集] 部活動
多くの生徒が部活動に加入しており、運動系ではインターハイ出場経験もあるハンドボール部や多くの部活動が県大会に進出するなどの成績を上げている。陸上競技部も全国大会にこまを進めたこともある。文化系では、吹奏楽部や放送部などが大会・コンクールで良い成績を残している
- 運動系部活動
- 野球部
- 陸上競技部
- 水泳部
- 卓球部
- ソフトテニス部
- テニス部
- バドミントン部
- ハンドボール部
- バレーボール部
- サッカー部
- バスケットボール部
- 柔道部
- 剣道部
- 文化系部活動
- 演劇部
- 吹奏楽部
- コーラス部
- 美術部
- 囲碁将棋部
- 放送部
- 書道部
- 自然科学部
- マルチメディア部
- 茶道部
- ESS部
[編集] 進路状況
岐阜学区の主な進学校である五校(岐阜高校、岐阜北高校、加納高校、岐山高校、長良高校)の中でも岐阜高校に次ぐ進路実績がある。ほぼ全員が進学希望であり四年制大学に進学する。毎年250名以上の国公立大学合格者を出し、特に名古屋大学や岐阜大学の合格者数は県内トップクラスの実績がある。また私立大学には早稲田大学、同志社大学、立命館大学などの難関私立大学に多数の合格者を出している。
- 2006年入試 国公立大学合格者数 256名 私立大学合格者数 831名
[編集] 交通機関
- 岐阜バス 「北高前」停留所から徒歩5秒