層としての学生運動論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
層としての学生運動論(そう - がくせいうんどうろん)とは、全日本学生自治会総連合初代委員長・武井昭夫が1948年に提起した学生運動論である。
戦前の学生運動論は、日本共産党の「学生は小ブルジョアである」との規定に基づいていた。つまり、日本共産党としては、学生は実践的に鍛え直さなければ使い物にならない存在であり、プロレタリアートの革命事業を支援すればいいといったものであった。
戦前の大学では、各大学に社会科学研究会が結成され、社会科学研究会の全国組織である学生連合会(学連)が実質的に学生運動を指導していた。それに対し、日本共産党は、「学連が学生運動を指導するのは誤りであり、日本共産青年同盟が運動を指導すべきである。学連は、無産者新聞や、赤色救援会(モップル)に運動を譲渡し、読書会のみを残して強化すべきである」との見解を示していた。
しかし、武井昭夫は、学生自体が一つの社会階層であり、米軍占領下にあって、国民各層と提携しながら自主的に平和と民主主義を実現できると主張した。
日本共産党の指導に従わなくてもよいとする武井昭夫の主張が、後に新左翼が結成される根拠になっていく。