寝床
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寝床(ねどこ)は、落語の演目の一つ。上方落語の『寝床浄瑠璃』が原型で、後に東京落語に移入された。十八番にしたのは8代目桂文楽。8代目橘家圓蔵の口演も有名。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
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[編集] あらすじ
下手な義太夫語りの事を、「五色の声」、つまり「まだ青い素(白)人が玄(黒)人がって、赤い顔して黄色い声を出す」と言ったのは蜀山人だという。
ある大家の旦那もそんな類の一人で、すぐ他人に語りたがるが、あまりにも下手なので、長屋の店子たちは誰も聞きに来ない。だったら、せめてご馳走をして、ご機嫌をとろうと色々と準備をしてから小僧の繁蔵を呼びに行かせたがやはり駄目。
提灯屋は開店祝いの提灯を山のように発注されてんてこ舞い、金物屋は無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、小間物屋は女房が臨月な為辞退、鳶の頭は成田山へお詣りの約束、豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しと全員断られてしまった。ならば、と店の使用人たちに聞かせようとするが、全員仮病を使って聴こうとしない。
[編集] 一般的展開
頭に来た旦那は、長屋は全員店立て(たたき出す事)、店の者は全員クビだと言って不貞寝してしまう。それでは困る長屋の一同、観念して義太夫を聴こうと決意した。一同におだてられ、ご機嫌を直して再び語ることにした旦那は準備にかかる。その様子を見ながら一同、旦那の義太夫で奇病(その名も「義太熱」、「ギダローゼ」)にかかったご隠居の話などをして、酔っ払えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。
やがて始まった旦那の義太夫をよそに、酒が回った長屋の一同、全員居眠りを始めてしまう。我に返って気づいた旦那は激怒するが、何故か丁稚の定吉だけが泣いているのを見て機嫌を直した。何処に感動したのかと、語った演目を片っ端から質問してみるが、定吉の返事は「みんなが寝ちゃって、自分の寝床が無かったんです」
[編集] 古今亭志ん生バージョン
5代目古今亭志ん生の口演では、旦那が義太夫を聞かせたがるくだりから以下のような展開になる。
仕方が無いからと、番頭相手に差し向かいで語りだした旦那。殺人的義太夫の拷問に当然番頭は逃げ出し、旦那は見台を持って語りながら追っかける。進退窮まった番頭は蔵へ逃げ込み引きこもるが、旦那もさる者で引き窓までよじ登り蔵の中へ義太夫を語りこむ。蔵の中は義太夫が渦巻き、パニックになった番頭はその後失踪した。
サゲは「いまあの人は、ドイツにいる」。つまり番頭は国外逃亡してしまったのであるが、何故ドイツなのかは全く説明がない。シュールなオチである。
[編集] 嫌味までも芸に仕立て上げた落語
「義太夫ネタ」として最も有名なこの『寝床』の他にも、屋根の上で「煙たちー」と節の練習をしていた所、往来が火事と勘違いしてパニックになると言う『稽古屋』等、何故か義太夫がこき下ろされる話が落語には多い。その理由は、明治時代に娘義太夫が流行した際、客の殆どを持っていかれ閑古鳥が鳴いたからなのだといわれている。
しかし、義太夫を直接攻撃したのでは余りにも芸が無く、また、同じ芸人として許される事でもなかったのだ。そこで、変な義太夫を聴かされて右往左往する長屋の連中を描く事により、遠まわしに義太夫に対して嫌味を言っているのである。
現代のお笑いでは、敵対する相手をどぎつい言葉で直接ののしるパターンが増えているが、かつての芸人にはこのように間接的に嫌味を言いつつ、また芸として完成させてしまうというセンスがあった。