宮畑遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮畑遺跡(みやはたいせき)は福島県福島市岡島にある縄文時代の遺跡。中期(約4500~4000年前)のムラ跡、後期(約4000~3000年前)のムラ跡、晩期(約3000~2500年前)のムラ跡と3つのムラ跡が複合している遺跡である。平成15年(2003年)に国史跡に指定された。
目次 |
[編集] 遺構
[編集] 縄文中期のムラ跡
宮畑遺跡の縄文中期のムラ跡からは約40の竪穴住居遺構が発見されている。この時期の宮畑遺跡の住居は、屋根に土をのせ、複式炉を備えたものであった。また、住居遺構の半数は焼けた痕跡が見つかった。このムラの半数の住居が焼かれているという現象は、他の縄文中期の遺跡では見つかっておらず、宮畑遺跡の謎であるとともに特徴の一つでもある。
[編集] 縄文後期のムラ跡
宮畑遺跡の縄文後期のムラは、前述した中期のムラと連続性はなく、約4000年前に新たにこの場所に移住してきた人々によって営まれたムラであると思われる。この時期につくられた宮畑遺跡の住居の中には地表面に石を敷いて床とした「敷石住居」と呼ばれるものがいくつかある。敷石住居は関東地方によく見られる住居跡で、また、この時期の遺構から出土した土器群は関東地方の土器群と同じ特徴をもつものが多く、この時期のムラは関東地方の影響を強く受けていたと思われる。このほか、この時期のものとしては竪穴住居や埋甕の遺構が発見されている。
[編集] 縄文晩期のムラ跡
この時期のムラ跡からは、掘立柱建物が円形に配置されている遺構が見つかっている。中には直径90cmの柱を立てたと思われる大きな柱穴跡が長方形に区画されてた遺構も発見されている。おそらくは祭祀などのムラの行事の際に使用されていたと推定されている。円形に配置された掘立柱建物遺構群の外側には子供の墓と思われる埋甕が多数出土している。
[編集] 遺跡の保存
宮畑遺跡は、もともとは工業団地開発のために発掘調査されていたのだが、平成10年(1998年)に大型柱穴が発見されたことがマスコミ報道されて以降注目されるようになり、平成15年(2003年)に国史跡に指定された。市は遺跡の保存を決定し、将来的には史跡公園の整備などを計画している。また、毎年10月には宮畑縄文まつりが開催されている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- ふくしまの歴史1 原始・古代(福島市教育委員会 2005年)