宝治合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝治合戦(ほうじがっせん)は、鎌倉時代の1247年(宝治元年)に執権北条氏が御家人三浦氏の一族を滅ぼした事件である。三浦氏の乱とも呼ばれる。
三浦氏は平安時代後期の源頼朝の平氏に対する挙兵に従って御家人で、承久の乱でも活躍し、北条氏と協調関係を続け幕政に影響力を持っていた。三浦泰村は第3代執権・北条泰時の女婿として勢力をふるっていたが、第5代執権・北条時頼の外祖父・安達景盛やその子である安達義景と対立して、北条氏とも疎遠になる。
時頼は外戚の安達景盛・義景父子の援助で挙兵、三浦泰村ら三浦一族、娘婿の千葉秀胤らを鎌倉で滅亡させた。