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宗 義調(そう よししげ、1532年(天文元年) - 1589年1月28日(天正16年12月12日))は、宗氏の第十七代当主。
第16代当主・宗晴康から第17代を継いだ。李氏朝鮮と通商条約を結ぶなど、頻繁に交渉を行なって貿易を拡大し、宗氏の繁栄をもたらした。1587年、豊臣秀吉の九州平定に参陣したことにより、本領を安堵された。
その後、秀吉の命により李氏朝鮮と国交交渉などを行なった。義調は秀吉の朝鮮出兵を回避するため、交渉に尽力したが、半ばで病死してしまったのである。