安土市
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安土市(あづちし)は、滋賀県神崎郡能登川町、五個荘町と蒲生郡安土町の合併によって誕生する計画があった新しい市の名称。
3町は2002年1月4日に法定合併協議会を設置し、住民からの新市名の公募を行ったところ、3698点の名称案があり、その内「安土市」「きぬがさ市」「近江安土市」「東近江市」など4つの案に絞られた。そして9月27日に合併協議会の委員33人(1人欠席)による無記名投票の結果、「安土市」が19票、「きぬがさ市」が14票となり、「安土市」に内定した。
ところが五個荘町の委員から「現在の町名(能登川、安土、五個荘)を選べば、吸収合併を想起させる」、「生まれ育った町の名は愛着があるが、後々しこりを残さないよう新しい名前の方がよい」として、既存の名称を使うことに反対の意見が上がり、能登川町の住民からも「人口、経済ともに(3町の中で)最大規模の能登川が、なぜ経済的・人口共に劣る安土の名称を使わなければならないのか」、「新市役所は能登川の町役場を使用すると決めたのに、なぜ名称が安土なのか」、「対等合併なのだから既存の名称を使わず、別の名称にするべきだ」と反対の声が上がり、両町の住民から「きぬがさ市」に変更するように働きかけがあった。しかし五個荘町以外の合併協議会委員は「協議結果を尊重する」として、住民の新市名変更の要望を拒否し、新市名は「安土市」に決定した。
この決定に五個荘町が激怒し、2002年12月15日に合併協議会からの脱退を宣言し、同月30日の会合を最後に協議会は解散となった。その後、能登川は安土との2町合併案も挙がったが、能登川の委員が「安土市」を支持した事に激怒した同町住民からの苦情が殺到「安土の犬」、「能登川を安土に売った売名奴」と散々批判された為、最終的には能登川も合併協議会を脱退する羽目になった。
この3町の地域は文化・歴史・経済ともに多岐に渡っている為、合併協議会も住民の意向を尊重して慎重に合併協議を進めていた。そして新市名さえ決定すれば、合併を待つだけという段階にまで持ち込めたのに、最後で今までの努力を全てを水の泡にする決定を行った合併協議会に対する疑問の声も上がった。
背景には、安土町の露骨な町名存続工作がある。安土は織田信長ゆかりの地であり歴史的にも有名な地名である。しかし、能登川や五個荘と比べて経済的基盤が弱く、対等合併では安土の名を残すのが難しかった。そこで安土町は住民を上げて組織票を大量に獲得し「安土市」を名称案1位にのし上げた事が判明。高島市のように全住民が安土の名称を望んでいると見せかけようとしたのである。事実、投票率も安土町が一番高かった。だが実際問題「安土市」の票を入れた住民が圧倒的多数だったのは安土町のみで、能登川、五箇荘両町では「きぬがさ市」が圧倒的に支持されていた。このように数字上では勝ったとは言え、能登川・五個荘両町にはまさに寝耳に水で、到底受け入れられるものではなかった。
その後、五個荘町は2005年2月11日に八日市市、神崎郡永源寺町、愛知郡愛東町、湖東町と合併して東近江市となり、能登川町も2006年1月1日、蒲生郡蒲生町とともに東近江市に編入合併した。一方、安土町は隣の近江八幡市と法定合併協議会を設置し、新市名を「安土八幡市」としたが、近江八幡市側が猛反対し、安土町でも2005年3月に行われた住民アンケートの結果、合併反対が多数となり、結局この合併も白紙撤回となり安土町は孤立することとなった。