安倍文殊院
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安倍文殊院(あべもんじゅいん)は奈良県桜井市にある華厳宗の寺院である。山号は安倍山。本尊は文殊菩薩。開基(創立者)は安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)である。切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三文殊に数えられる。宗教法人としての公称は「文殊院」である。
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[編集] 歴史
大化改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の氏寺として建立されたという。
創建当時の寺地は現在の文殊院の西南300メートルほどのところであり、鎌倉時代に現在地に移された。旧寺地(桜井市安倍木材団地1丁目)は「安倍寺跡」として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。発掘調査の結果、安倍寺は東(右)に金堂、西(左)に塔が建つ法隆寺式伽藍配置をもっていたことがわかり、出土した古瓦の様式年代からも創建が7世紀にさかのぼる寺院跡であると見られる。「東大寺要録」巻6には、東大寺の末寺の1つである「崇敬寺」が安倍倉梯麻呂の建立であることと、「崇敬寺」の別名が「安倍寺」であったことが記載されている。
当院では陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれ、2000年には安倍清明堂が建立されている。
[編集] 境内
- 本堂
- 寛文5年(1665年)に建立された建物で、快慶作の木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像が安置されている。
- 金閣浮御堂(仲麻呂堂)
- 昭和60年(1985年)に建立された文殊池の中に建つ金色の六角堂で、安倍仲麻呂像、安倍清明像などを祀る。
- 白山神社本殿(重要文化財)
- 室町時代後期の建立。
- 文殊院西古墳(特別史跡)
- 本堂近くにある7世紀中頃の古墳で、豪族安倍(阿倍)氏一族の墓であることはほぼ確実視され、安倍倉梯麻呂の墓であるともいわれる。古墳の原状は不明だが、径25メートルほどの円墳であったと見られる。横穴式石室が露出しており、切石造石室の代表的なものとされている。
- 文殊院東古墳
- 7世紀前半に築造されたといわれる古墳で、古来から閼伽井窟(あかいくつ)と呼ばれ,信仰の対象とされてきた。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像4躯(重要文化財)
- 鎌倉時代を代表する仏師快慶の作で「知恵の文殊」として親しまれている。巨大な獅子にまたがる総高約7mもある文殊菩薩像を4体の脇侍像が取り囲む文殊五尊像である。文殊五尊像の脇侍は普通、善財童子、優填王(うてんのう)、最勝老人、仏陀波利三蔵と呼ばれるが、文殊院では「最勝老人」にあたる像を「維摩居士」、仏陀波利三蔵にあたる像を「須菩提」と称している。維摩居士像は後世の補作に代わっており、重要文化財には指定されていない。
- 白山神社本殿
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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