宇喜多秀高
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宇喜多 秀高(秀隆)(うきた ひでたか、天正19年(1591年) - 慶安元年8月18日(1648年10月4日))は江戸時代の八丈島流人。宇喜多秀家の嫡子。母は前田利家の娘で豊臣秀吉の養女の豪姫。官位は侍従・従四位下。別名、孫九郎、秀親。
1597年、従四位下・侍従に叙任され、豊臣姓を賜る。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗戦。父と共に島津氏に匿われた後捕らえられ、1606年、父の流罪に従い16歳で八丈島に流される。その後、八丈島代官奥山縫殿助の娘を娶る。
1648年に58歳で父に先立って没するが、その子孫は2家を興して江戸時代を乗り切っている。法名は秀源院殿浄雲居士。