孫朗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
孫朗(そんろう、生没年不詳)は、呉の孫堅の庶子。孫権の弟。字は早安。
別名では孫仁とも言われる。しかし孫仁の名は、近年では劉備に嫁いだ孫権の異母妹の孫尚香の名として使われている。これは、孫朗がその妹と同母であったためとも言われている。なお、三国志演義では、孫権の弟としてしか名は出てこない。
正史では、魏の曹休が攻めてきたとき、孫朗は呂範と共にこれを防いだが、このとき、軍用資材を自身の不手際から焼いてしまうという失敗を犯してしまった。これに兄の孫権は激怒し、孫朗を皇族から追放して丁姓を名乗らせると共に、彼を投獄してしまった。そして孫朗は、獄中で死去したという。