学問のすすめ
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学問のすすめ(がくもんのすすめ)は、福沢諭吉の著書のひとつ。正式名称は、學問ノスゝメ。初編のみの共著者に小幡篤次郎がいる。
原則的にそれぞれ独立した17つのテーマからなる、初編から十七編の17の分冊であった。1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勧序」という前書きを加え、一冊の本に合本された。その前書きによると初出版以来合計約七十万冊が売れたとの事である。八年間という期間の中ではあるが、当時とすれば大ヒットの一冊と言える。
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[編集] 内容
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」という一節はあまりに有名である。
誤解される事が多いがの「云ヘリ」は、現代における"云われている"ということで、この一文のみで完結しているわけではない。
しかも、この言葉は福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。
この引用に対応する下の句とも言える一文は、「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ,カシコキ人アリ,オロカナル人アリ,貧シキモアリ,富メルモアリ,貴人モアリ,下人モアリテ,ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」である。
つまり、「しかし広いこの人間世界を見渡した今、賢い人や愚かな人、貧乏な人も金持ちも、身分の高い人や低い人も居るから、現実と理想の雲泥の差の様なものは一体なんだろう」という事である。
これらの言葉は初編からの引用であるが、虚実渦巻く理想と現実の境を学問によって黎明するといった意図が読み取れる。 大意として学問の有無が人生に与える影響を説いており、日本国民の行くべき道を指し示した。
彼は攘夷の気分が蔓延していた当時に攘夷を否定し、また、「政府の法が過酷なのは国民が愚かだからであり、強訴一揆の類を起こす者は恥を知れ」(意訳)等と、当時の世論を考えれば、かなり過激で、先進的だったといえる。
更に漢文・古文などを「よきものではあるがそこまでして勉強するものではない」(意訳)として、その意義を否定こそしないが、世間で扱われている程の価値があるものではない、と言って儒教及び朱子学を否定している。
[編集] 特徴
当時としてはかなり平易な文章だといえる。「私は文章を書く時は猿にもわかるように書いている」と言った福沢諭吉らしい文章だと言えるかもしれない。
また、当時の文章に多く見られる特徴と同じように、比喩的な表現が多く、特にユーモラスな比喩が多い。 「力士に腕を折られる」や「商家の跡取り息子が身代を潰す」等、福沢諭吉の人間性を見る上でも、当時の世相を見る上でも興味深い表現が多い。
また一編、一編が簡潔で、一つの論旨を比喩や故事、時に外来語まで用いて説いている。
[編集] 初版本
大分県中津市内の福沢諭吉旧居記念館内に初版本を展示している。
1968年に日本近代文学館から「名著複刻全集 近代文学館 明治前期 29」として『学問のすすめ 初編』が復刻されている。
[編集] 本書をモチーフにしたタイトルの作品・商品
有名な作品であるため、他の作品・商品に本書をもじった名前が使われることもある。
- 小説
- ウソつきのススメ(林多加志、南伸坊)
- テレビ番組
- ドリンク
- 大豆ノススメ(コカ・コーラ)