ノート:大鳳 (空母)
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大鳳が計画されたのは、開戦前の事なので、ミッドウェーの戦訓から操行化したというのは適切ではないかと。軍縮条約により、量の劣勢を質で補わなければならないという必要から装甲空母として計画されたというのが正しいかと思います。いかがでしょう?
おっしゃるとおり、大鵬は1939年計画の艦です。しかし、起工(41年7月)から進水(43年4月)の間にミッドウェー海戦があり、その戦訓から当然何らかの手当て(つまり飛行甲板の対爆弾防御の強化)があったものと推測いたします。が、確かなデータの持ち合わせがありません。くわしいデータをお持ちの方がいらっしゃったら、ご教示願えれば幸いです。Miya.m 13:35 2004年4月21日 (UTC)
ミッドウェーの戦訓で飛行甲板の装甲を強化したという説は聞いたことがありません。最初にコメントした方の書いているとおりだと思います。また、格納庫は二層です。一層ではありません。--KZY 08:53 2004年6月5日 (UTC)