大東文化協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大東文化協会(だいとうぶんかきょうかい)は、かつて日本に存在した旧制専門学校。大正時代、帝国議会(貴衆両院)において「漢学の振興に関する建議案」が満場一致で可決され、その設立母体として誕生した。
主に旧華族の関係者が設立に尽力したため、歴代協会会頭、その教育機関である大東文化学院の総長や幹部の多くが旧華族であり、戦前の首相、閣僚関係者が数多く関わっている。
初代総長は平沼騏一郎(学院初代総長、元内閣総理大臣、男爵)、初代会頭は大木遠吉(協会初代会頭、鉄道大臣、伯爵)。
歴代の幹部・賛同者として宮沢裕(協会副会頭、参議院議員)、近衛文麿(賛同者、元内閣総理大臣、公爵)、酒井忠政(協会会頭、農林大臣、伯爵)、鵜沢総明(学院総長、貴族院議員、衆議院議員、東京裁判弁護団長)などがおり、この他にも多くの政治家が関わっている。また、戦後も岸信介(元内閣総理大臣)を後援会長に、副会長に福田赳夫(同)、椎名悦三郎(通産大臣)を、役員には清瀬一朗(衆議院議長)、松野鶴平(参議院議長)、藤山愛一郎(経済企画庁長官)、高橋達之助(通産大臣)、石井光次郎(同)、賀屋興宣(元大蔵大臣)、南条徳男(大学名誉総長、建設大臣)など多くの政界、財界人が支援してきた。
現在大東文化大学内に歴史資料館(アーカイブ)を設立し、「自校史教育」を展開している。
[編集] 関連項目
- 大東文化大学 - 大東文化協会を母体として設立された大学