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夏侯栄(榮)(かこうえい、建安12年(207年) - 建安24年(219年))は三国時代の魏の人。字は幼権(幼權)。夏侯淵の五男。
7歳にして文書を書き、曹叡の友人であったという。
劉備との陽平関を巡る戦い(218年~219年)に参加し、建安24年(219年)定軍山で黄忠の軍との戦いで父の戦死を知ると退却をすすめられるも、「父や兄弟達が戦っているのにどうして自分だけ逃げるのか」と言うと劉備の軍に突入し、戦死したという。
三国志演義には登場しない。