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堀田 正永(ほった まさなが、宝永6年(1709年) - 享保20年8月29日(1735年10月15日))は、近江堅田藩の第3代藩主。父は初代藩主・堀田正高(正永は九男)。母は田中氏。官位は従五位下。大和守。名は正良、俊尾とも。
1709年、堅田にて生まれる。幼名は岩吉。徳十郎。1726年に兄で先代藩主の堀田正峯が若死にしたため、その養嗣子となって後を継いだ。1735年から大坂城の守衛を努めるが、同年8月29日に27歳で死去した。後を養嗣子の堀田正賓が継いだ。法号は多楽宗永嶺松院。墓所は滋賀県大津市堅田の祥瑞寺。