堀利重
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堀 利重(ほり とししげ、天正9年(1581年) - 寛永15年4月24日(1638年6月6日))は、常陸玉取藩の初代藩主。父は堀秀重(利重は三男)。母は西庄氏。正室は本多康重の娘。官位は従五位下。伊勢守。市正。
織田信長に仕えていた堀秀政の弟に当たる。1599年に堀秀治から徳川氏への人質として江戸に赴き、徳川秀忠に仕えた。関ヶ原の戦いでは秀忠軍に従軍して真田昌幸の守る信濃上田城を攻めた。その後、8000石を与えられたが、1614年に大久保忠隣の改易に連座して改易され、奥平家昌預かりの身となった。
1615年、大坂夏の陣では家昌の弟・松平忠明の軍に加わり戦功を挙げた。1622年に罪を正式に許され、常陸新治郡内に1万石を与えられ玉取に陣屋を構え、藩主となった。そして幼少の下野宇都宮藩主・奥平忠雅の補佐を命じられる。1628年には大番頭となった。その後も書院番頭、寺社奉行などを歴任したため、1633年に近江・安房・上総で4000石を加増される。
1638年に出雲松江藩の京極氏改易により城の受け取りに向かい、その帰路の4月24日、大坂で死去した。後を長男の堀利長が継いだ。享年58。法名:桂峯貞山立芳院。墓所:和歌山県高野町の高野山三宝院。