咸興市
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咸興市 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 함흥시 |
漢字: | 咸興市 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
かんこうし |
片仮名: (現地語読み仮名): |
ハムフンシ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
ローマ字転写: | Hamheung-si / Hamhŭng-si |
咸興(ハムフン、ハムン、함흥)は朝鮮民主主義人民共和国の咸鏡南道の道都。冷麺で有名。1960年~1967年の間直轄市に昇格した事もある。人口70万9730人 (1993年)、874,000人 (2005年)。
目次 |
[編集] 概要
咸興平野にある日本海に面した港湾都市。城川江が市内を貫通する。農産物の集散地。工業は植民地時代に基盤が形成され、化学工業が中心の工業地帯が形成されている。李氏朝鮮発祥の地であるため李朝に関連した遺跡が多い。巨大な港もある。
[編集] 歴史
李朝発祥の地。李成桂が生まれ、晩年に隠居した地でもある。咸興は咸鏡道の古くからの中心であり、周囲はもともと農村だった。植民地時代の1920年代に長津湖や赴戦湖といった人造湖による水力発電が整備され、咸興の南側の海岸(興南)に日窒コンツェルンが工業地帯を形成し、化学工業が発達した。
日本の敗戦後、多くの日本人が興南から日本に引き揚げた。朝鮮戦争の際、1950年12月、中国義勇軍の猛攻撃で中国・北朝鮮国境地帯から退却した米軍をはじめとする国連軍10万人が、一般市民10万人とともに興南の港から米海軍の艦船により海路南へ脱出する興南撤退作戦が行われた。興南は国連軍の艦砲射撃と空爆により破壊されたが、のちソ連などの東側諸国の援助もあり復興し、発展した。
なお、日本統治時代(1910年~1945年)においては、日本語読みで「かんこう」と呼ばれていた。
[編集] 交通
清津方面に通じる咸鏡線や、蓋馬高原の人造湖である長津湖や赴戦湖に通じる鉄道がある。
平壌、清津への定期便(週1便)が発着する宣徳空港がある。
[編集] 経済
合成繊維や化学繊維などの化学工業や機械工業などの重工業が中心。苛性ソーダや肥料も多く生産している。
[編集] 行政区画
- 興南区域 港湾部の化学工業地帯。もともと興南市というひとつの市だったが1960年合併。咸興の中心
- 竜城区域 機械工業の中心地
- 沙浦区域 化学繊維の生産が多い
- 城川区域 紡績が中心
- 水洞区
[編集] 教育
- 咸興大学
- 医科大学
- 工業大学
- 咸興水理動力大学