名古屋市交通局800形電車 (軌道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
800形は、名古屋市交通局(名古屋市電)がかつて保有していた電車である。
[編集] 車両概要
戦後、路面電車車両の近代化を目指して日本車輌が1956年7月に試験的に1両を製造、試運転を経て同年9月から港車庫所属となり営業運転に入った。従来の車両とは異なり、製造コストを抑えるとともに高速運転に対応した軽重量設計となったため、自重が約11tと同時期製造他車種平均の約16tを大きく下回った。製造価格も、約1000万円が1両あたりの相場であったところ、817万円に抑えられた。
電動機は車両中央の床下に吊り下げ、そこから駆動軸を伸ばし前後車輪を駆動させる乗越カルダン駆動方式(多くの鉄道模型の方式である「ウォームギヤ駆動」と同一)で設置され、前面窓は従来の電車が3枚であったところを、車両先端幅を狭めて大型2枚窓を取り付ける方式になり、さらには車体が台車の部分までを覆う薄いロングスカート型(強度を高めるためコルゲートを入れていた)となっており、総合的に見て先鋭な印象を与えることになった。そして室内灯には蛍光灯をこの頃としては珍しく装備し、制御はワンハンドルマスコンを用いるなど、他の面でも技術革新が窺える車両であった。
800形は同年中にもう1両が投入されたほか、1957年・1958年にも各5両ずつ製造投入したため、総数12両となった。年度ごとに、台車や歯車が異なっている。また802号車については、1957年11月に台車へ空気バネを試験的に取り付けたが、構造に問題があって翌年には取り外された。さらに808号車以降の車両には、放送装置や運転士腰掛、速度計も装備された。
[編集] 運用と早期離脱
前述したとおり、全車が港車庫に所属した。加速力は評判がよく、軌道法における最高速度は40km/hとなっているが、この車両を用いた運行ではしばしば60km/hにも達する速度違反が行われていたという。
しかし軽量化に対しては、それゆえの問題が幾つか発生した。折り返し地点でのスプリング・ポイント(発条転轍機)ではしばしば車両が道路に乗り上げる脱線事故が発生した上、断熱材の量も節約したことから夏場は鉄板焼きのごとくの暑さになった。特に前面は大型1枚窓になっていたことから、運転士にとってはかなり過酷な勤務であったという。
また、制動装置(ブレーキ)は電気ブレーキとドラムブレーキの併用であったが、807号車以前の車両についてはよくドラム部分に水が入って効力が落ち、停留場で過走する事態を引き起こしていた。
さらに動力装置も新機構のため故障が多く、稼働率は高くなかった。結果として路面電車の撤去が始まった1969年には、港車庫の廃止とともに全車が運用を離脱し、渥美半島沖での漁礁とするため全車が海中に沈められた。
[編集] 諸元
- 車長:12717mm
- 車幅:2416mm
- 車高:3850mm
- 自重:11.2t
- 台車:NS51型
- 電動機:100kw×1