厳白虎
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厳白虎(げんはくこ、生没年不詳)は、中国後漢末期の呉郡の独立勢力の頭目である。一万人以上の勢力を有していたが、孫策により平定された。三国志演義では、東呉の徳王と名乗っていた。
190年代後半、江東に地盤を築き始めた孫策は、呉を制圧すべく厳白虎に対して兵を向けた。孫策の軍団を前にした厳白虎は、弟の厳輿を和睦の使者として送るが、孫策により斬られてしまう。やがて、孫策の勢いに恐れをなした厳白虎は、余杭にいた許昭のもとに落ち延びた。
没年に関しては不明であるが、孫策により許貢と同時期に殺害されたと考えられる。演義では弟が斬殺された後に、親交があった会稽太守の王朗を頼り、孫策と戦うが、大敗し逃亡を図るも呉将の董襲に惨殺されたことになっている。三国志演義では、呉平定後に厳白虎の元家臣らが孫策に復讐し負傷した。また、この傷が原因により孫策がのちに死去することになった。