南極地域観測隊
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南極地域観測隊(なんきょくちいきかんそくたい)は、南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために日本が南極に派遣する調査隊の名称。通常は南極観測隊と呼ばれる。
観測隊は海上自衛隊の保有する砕氷艦に乗船し、通常は日本を11月に出発する。南極には12月または1月ごろ到着し、昭和基地で観測を行う。2月1日に前年の越冬隊と新年の越冬隊が入れ替わる。越冬しない部隊は、前年の越冬隊とともに砕氷艦で帰還する。この間に、越冬隊が1年間に使用する機材や燃料、食料などが昭和基地に運ばれる。補給はこの1回のみしか行われない。前年の越冬隊が出した廃棄物は砕氷艦に乗せられ、日本に運ばれて処理される。帰還は3月末ごろである。越冬隊は出発の翌々年に帰還することになる。
南極は1月が夏で、比較的近づきやすいため、この時期に隊の入れ替えが行われる。第1次隊から交代の季節はほとんど変化していない。
隊員は全員が何らかの日本政府機関の職員である。これは1次隊から変わっていない。大学院生などの場合は、臨時に大学教員の身分が与えられある場合がある。ただし、かつて南極観測にNHKが加わり、越冬したNHK職員のうち1名が越冬隊員を兼任するという例外があった。
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[編集] 南極越冬隊
南極越冬隊は、南極地域観測隊のうち、1年間に渡って観測を続ける隊のことである。混同されがちであるが、観測隊員全員が越冬するわけではない。混乱を防ぐため、越冬しない部隊を「夏隊」、越冬隊を「冬隊」と呼び区別する。通常、越冬隊長は観測隊副隊長が兼任する。
越冬隊は1年に渡って昭和基地またはドームふじ観測拠点で生活をしながら観測を行う。
[編集] 生活
昭和基地では日本とあまり変わらない生活ができるとされているが、居住棟の割り当ては1人約13m²)(4畳)の部屋1つで、バス・トイレは共同である。ただし床暖房が効いており室温は保たれている。公衆電話は管理棟にあるが、電話代は隊員が自費で払う。バーもあるが、バーテンダーは隊員が当番制で務め、客も日ごとに交代する。食事は専任の調理隊員が作っている。冷凍技術の進歩により、食材の種類不足は解消されつつあるが、さすがに後半は生野菜・果物は不足する。
隊員は基本的に生活に関することは何でも自分で行わなければならない。また、複数の業務を兼ねるのも普通である。
[編集] 歴史
1956年に永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)がその創始である。この予備隊は、のちに第1次南極地域観測隊と呼称が変更された。当初は2次で終了する予定であったがその後延長され、2004年4月現在活動中の観測隊は第45次隊である。通常は約60名から編成され、うち約40名が越冬隊員を兼ねる。
1958年2月、第2次越冬隊は悪天候のため昭和基地への上陸を断念、滞在中であった第1次越冬隊も命からがら撤退した。このとき15頭の樺太犬が基地に取り残されたが、うち兄弟犬タロとジロの2頭が生き延び、翌1959年1月に第3次越冬隊と再会した。
1961年出発の第6次隊は、最初から越冬の予定がなく、昭和基地を閉鎖して帰還した。 1962年から1964年までは日本は南極地域観測隊を派遣していない。 1965年出発の第7次隊からは、途切れることなく毎年観測隊が派遣され、毎年越冬も行っている。