千葉重胤
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千葉 重胤(ちば しげたね、天正4年(1576年) - 寛永10年6月16日(1633年7月21日))は、戦国時代の武将。千葉氏の第31代当主。第29代当主・千葉邦胤の子。母は岩松守純の娘。幼名は千鶴丸、法名は長胤。
1585年に父が家臣によって暗殺された後、千葉氏の家督は北条氏政の子・千葉直重が継ぐこととなり、重胤は後北条氏の人質として母とともに小田原に住むこととなった。1590年に後北条氏が滅亡すると、千葉氏も後北条氏の与党と見なされて所領を没収された。その後、重胤は各地を流浪し、一時母が崇源院に仕えていた縁で幕府より領地を与えられたこともあったが、やがて領地を返上し浪人し、最終的には1633年に江戸で死去したと言われている。享年58。戒名は仁性院殿光常真覚大禅定門。