北条幻庵
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北条 幻庵(ほうじょう げんあん、明応2年(1493年) - 天正17年11月1日(1589年12月8日))は、戦国時代の武将である。北条早雲の3男。幼名菊寿丸、法名長綱(のちに幻庵宗哲)。生年は異説もある。妻は栖徳寺。子に三郎、綱重、長順、吉良氏朝室、北条氏秀、北条氏光室がいる。養子に北条氏秀。箱根権現別当。金剛王院院主。
1569年に甲斐国(山梨県)の武田信玄との蒲原城の戦いにおいて子の綱重・長順を失い、北条氏康の八男氏秀に家督を譲って隠居し、幻庵と号した。氏秀が上杉謙信の養子となった後は、孫の氏隆に家督を継がせる。
1589年に死去、享年97(異説あり)。幻庵の死から8ヵ月後に後北条氏は豊臣秀吉に攻められ、滅亡する。
北条氏の長老的性格で、馬術や弓術に優れ手先も器用である文化人であるとされる。また時には一軍を率いて合戦に参加したとも言われている。また、氏康の娘が嫁ぐ際に「幻庵おほへ書」という礼儀作法の心得を記した書を記している。
北条五代の菩提寺である早雲寺の庭園をつくるなど、現在でもその才を偲ぶことができる。