勿吉
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勿吉(もつきつ)は、中国三国時代、高句麗の北、満州地域に住んでいた民族で、現在の松花江から長白山一帯に居住していた民族。粛慎、挹婁の末裔と言われており、また、唐時代の靺鞨の祖先ともされる。
言語は、周辺の扶余、高句麗とは異なる。服装は、女性は布製を使用し、男性は、犬や猪の皮を利用していた。住居は、穴居式であった。
三国時代には、男性が女性の家に通う母系家族だったが、南北朝時代には、父系家族の段階に入りつつあった。死者の埋葬は、春、夏の場合、遺体を地中に埋めてその上に家屋を作り、秋、冬の場合、野獣の餌とした。宗教は、長白山等の高山を崇拝する原始宗教だった。
勿吉は、北魏、東魏に頻繁に朝貢し、主として馬を献上した。
勿吉は、勇敢なことで知られ、周辺諸国を頻繁に略奪していた。北史では、東夷最強と評されている。494年、勿吉は、扶余を滅ぼした。
南北朝時代末期、勿吉は、靺鞨とも表記され始め、隋時代以降は、出現しなくなった。