ノート:加藤千洋
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[編集] POVかつ誹謗中傷では?
工作員が云々との記述が長々とありますが、これらは特定の政治的立場(と呼ぶのもどうかと思う程度の)にたった誹謗中傷ではないでしょうか。
また、本文を読んでも関連が見出せない女性国際戦犯法廷が「関連先」として追加されているのもおかしいのではないでしょうか。 -- NiKe 2006年4月18日 (火) 09:10 (UTC)
- 誹謗中傷だと思います。--Iosif 2006年4月21日 (金) 09:08 (UTC)
- 削除しました。予告したほうが良かったのかもしれませんが、どうせ誰も見ないようだし、とりあえず。--Iosif 2006年5月13日 (土) 10:41 (UTC)
- また中傷が復活しているので削除します。それから、「国際問題に発展させた」ことが「功績」なんではなくて、記事を書いたことが功績ですね。記事が国際問題に火をつける役割をしたのか、それほど影響力があったとは言えないのか、われわれが判断することではありませんが。というわけで、ここも修正します。--Iosif 2006年8月26日 (土) 17:46 (UTC)
- 124.96.191.196さんが同趣旨の記述を繰り返したり60.46.89.12さんがリバートしていますが、どのようにすれば知り得る話なのか理解できません。第三者にも検証できる根拠があるんでしょう?--Iosif 2006年9月4日 (月) 03:23 (UTC)
- また中傷が復活しているので削除します。それから、「国際問題に発展させた」ことが「功績」なんではなくて、記事を書いたことが功績ですね。記事が国際問題に火をつける役割をしたのか、それほど影響力があったとは言えないのか、われわれが判断することではありませんが。というわけで、ここも修正します。--Iosif 2006年8月26日 (土) 17:46 (UTC)
- 削除しました。予告したほうが良かったのかもしれませんが、どうせ誰も見ないようだし、とりあえず。--Iosif 2006年5月13日 (土) 10:41 (UTC)
「日本の首相が靖国神社に参拝することで生じた中国での反応を報じた功績がある。」との文章の、「功績がある」の部分は、賞賛する文章なので削除してみました。それと、この記事は保護でしょうか?編集禁止なら、差し戻しは仕方ないですね。--218.43.208.36 2006年9月5日 (火) 06:16 (UTC)
- ああ、なるほど。新聞記者としての評価だから、話題を読んだとか特ダネだというつもりで「功績」の言葉を選びましたが「実績」が適切でしたね。ですが、218.43.208.36さんが編集なさったとおり「報じた」だけのほうが、より距離を置いていて良いと思います。ここに書くまでもないかもしれませんが「功績」という言葉を使ったのは多分私なので、したためておきます。-Iosif 2006年9月5日 (火) 08:27 (UTC)
- なんども同じ論評(もしくは中傷?)を繰り返している人がいますが、一言も発しないままだし、何なんでしょうか。新聞記者が記事を書いて、それが論争に火をつけたところで、何ら問題視されるいわれがありませんから、評する視点を持ち込まない書き方が必要です。工作員だのなんだのは論外。--Iosif 2006年9月17日 (日) 02:13 (UTC)
- 問題視されるいわれがないと仰りながら、その文言を全て削除するというのは、あなた自身がそれを問題視している証拠ではないでしょうか。テレビというマスメディアを用いて情報を発するということは、極めて中立的な観点が求められます。それにもかかわらず極めて中国より(しかも狂信的)な報道をすることは非常に問題だと普通は考えます。それと「一言も発しないまま」と仰られてますが、それはあなたも同じことですよ。—以上の署名の無いコメントは、62.240.186.229(会話/whois)氏が[006年9月17日 (日) 15:32]に投稿したものです。署名補填はIosifによる。
- POVかつ中傷にあたるので削除しているのです。私が問題視している証拠というのは理解できません。▼だいたい、あらゆる人物に対して「○○国寄り」「愛国/反日」という判断基準を当てはめて評するのは勘弁してもらいたい。このような判断基準=世界観自体が特定観点に基づくものですから、それをありとあらゆるところで押し付けること自体が中立的観点という方針から外れていると考えます。にもかかわらず、あちこちの人物項目でそういったことが行われている。これでは辞典は成立しません。この項目などほとんど情報がない段階から「反日、中国寄り」とばかり書かれてきました。この種の手前勝手なカテゴライズを押し付けるのではなく、事実を記述し、批判があれば、どこの誰が何を批判しているかなどを書くべきです。▼というわけで、加藤氏を「狂信的」とするならば、そのような具体例を挙げてください。私は加藤氏に対して「立場がはっきりしないなー」というていどの印象しかありませんし、そもそもテレビを見ないので話しているところも見たことがないし、加藤氏の肩をもとうとはまったく思いません。論評を書かずに具体的な事実が書かれていれば何の異論もありません(し、動機がどうであれそのように書かれたら異論ありません)。▼「工作員」うんぬんは論外です。これはネット上でだけ流通する「悪口」です。「悪口」であるというのは、POVであり、論評の域を出ていない(ほとんどの場合、情報価値がない)という意味で使っています。繰り返しになりますが、加藤氏に対して、どこで、誰が、何を批判しているのか、、、一般的な批判があるなら、それを代表する論者として例えば誰のどういう言説があるのかなどを紹介してください。左右を問わず、親日反日を問わず、辞典を悪口で埋めるのは辞めてください。--Iosif 2006年9月18日 (月) 19:53 (UTC)
- 署名してください。ついでなので補填しておきますが、パソコン音痴でネットワークリテラシーのない私には署名補填でさえ手間取りますので。よろしくお願いします。--Iosif 2006年9月18日 (月) 19:56 (UTC)
- 問題視されるいわれがないと仰りながら、その文言を全て削除するというのは、あなた自身がそれを問題視している証拠ではないでしょうか。テレビというマスメディアを用いて情報を発するということは、極めて中立的な観点が求められます。それにもかかわらず極めて中国より(しかも狂信的)な報道をすることは非常に問題だと普通は考えます。それと「一言も発しないまま」と仰られてますが、それはあなたも同じことですよ。—以上の署名の無いコメントは、62.240.186.229(会話/whois)氏が[006年9月17日 (日) 15:32]に投稿したものです。署名補填はIosifによる。
- なんども同じ論評(もしくは中傷?)を繰り返している人がいますが、一言も発しないままだし、何なんでしょうか。新聞記者が記事を書いて、それが論争に火をつけたところで、何ら問題視されるいわれがありませんから、評する視点を持ち込まない書き方が必要です。工作員だのなんだのは論外。--Iosif 2006年9月17日 (日) 02:13 (UTC)
61.117.202.25さん、ここは百科事典です。あなたの論評は要りません。--彩華1226 2006年9月19日 (火) 13:34 (UTC)
- 言っていることと編集が少し違うというか、「加藤工作員」の記述を戻していらっしゃいますが。これも百科辞典に不要でしょう。--Iosif 2006年9月20日 (水) 23:08 (UTC)
- ~とあだ名される「事実」とその理由が「誹謗中傷」というのは私には納得いきかねますが--彩華1226 2006年9月22日 (金) 16:10 (UTC)
削除しますだとか不要でしょうとか一体何様なのでしょうか。
加藤氏自身の政治的立場が偏ってる事それ自身はなんら問題ではなく、事実を事実として堂々とのせるべきだと思います。 加藤氏自身、ジャーナリストとして自分の発言に責任を持たなくてはいけないことはよくわかってるでしょうし、それに対する社会からの大きな反応は、誹謗 でも中傷でもなく、客観的な事実として堂々と百科事典に乗せられる必要があるべきものであり、独りよがりな感情で、事実を葬り去ろうとするのは決して許 されるべきではないと思います。
上記意見に全く賛同です。私は報道ステーションをたまに見ていますが、このコメンテーターはなんでこんなに中国や韓国の肩を持つのだろうと疑問になって調べているうちに、靖国問題に関する記述などを見つけ妙に納得したものです。情報収集する中で加藤工作員というあだ名も何度も目にしてきましたが、今までの加藤氏の行動や発言からも、あだ名に違和感を感じませんでした。多くの人にそう呼ばれている事実はそのまま載せるべきではないでしょうか。
↑ 呼ばれてるネットの中でだけでしょ、それ以外で誰か「工作員」などと呼んでるんですか?
[編集] 幼稚ないいがかり?
わたあめひみつ氏がそうした批判は、当時の中国についての国内事情・海外への視線・さらには日中関係(平和条約を締結してわずか7年)がどのようなものであったか、といった時代状況を全く考慮しておらず、幼稚な言いがかりの域を脱していない。という文言をしきりに記述してますが、これは「論評」にすぎません。また幼稚ないいがかりと言うのはあなたの主観でしかありません。さらにあなたの記述が削除された報復としてあなたの趣旨にそぐわない文言を削除する稚拙な行為は荒らし以外のなにものでもありません。記述した文言を削除されて悔しいのは分かりますが、ここはウィキペディアであり、あなたの自由帳ではありません。200.201.29.20 2006年10月20日 (金) 10:55 (UTC)
- meta:包摂主義の観点から記述したまでのことです。別に朝日新聞でなくても、どこかの報道機関がいずれは中国政府の反応について伝えたことでしょう。具体的に、政府の意を体して動いたというような証拠が存在しないのであれば、wikipediaに記述するのは適切ではありません。都合よく事実を取捨選択して、特定のものだけを取り上げることは、好ましいことではないでしょう。--わたあめひみつ 2006年10月20日 (金) 20:45 (UTC)
- 「別に朝日新聞でなくても、どこかの報道機関がいずれは中国政府の反応について伝えたことでしょう」ということが、あなたが当該部分を削除する理由にはなりませんよね。加藤氏の言動が靖国問題に火をつけたという批評が一部にあるのは事実であり、それを記述することになんら問題はありません。そもそもあなたの、当該部分に自らの主観である論評を付け加えたり、それが削除されると今度はその部分を丸々削除するといった行動に走ったりと一貫性がありません。これでは荒らしとなんら変わりませんよ。さらにこのような議論があるにもかかわらず、「観点」のタグを外すといった行動も理解できません。都合よく事実を取捨選択してるのはあなたのほうです。219.199.116.23 2006年10月20日 (金) 22:33 (UTC)
- ですから、根拠が無いに等しいものだと申し上げています。現状では、日本解放第二期工作要綱などと同じような、ためにする論の域を出ません。はじめに「工作員ありき」「朝日新聞ありき」で、あとからそれに当てはまる事実を引っ張ってくるだけでは、議論の成り立ちようもありません。それに、いわゆる「火付け」「焚き付け」論は、中国という国の主体性を無視した乱暴な論でもあるでしょう。まるで「中国に朝日新聞が知恵をつけてやった」かのような。wikipediaは、陰謀論を載せるにはふさわしくありません。
- 主観・論評はあっていいと思います。客観的記述というのはなかなか難しいものです。ですが、その場合には両論を併記するのが適切です。219.199.116.23さんも、 200.201.29.20さんの文章を引き写しするのではなく、ご自身の言葉で話してみてはいかがでしょうか。--わたあめひみつ 2006年10月20日 (金) 23:28 (UTC)
- 根拠はあります。A級戦犯が合祀されてから中曽根首相(当時)が靖国参拝を行うまでは歴代首相は20回靖国神社を参拝してますが、このことに関して中国は正式な抗議をしてはおりません。しかし昭和60年8月7日に加藤氏が書いた「中国「日本的愛国心を問題視」」という記事が表に出てから初めて中国側からの正式な抗議がでてくるようになりました。よって、内容としてはなんら問題は無く記述するにたり得るものでしょう。あなたの知らないことを全て「根拠が無い」と言って当該部分を削除するというのはあまりにも横暴かつ稚拙な行為です。まして陰謀論だのなんだのはあなたのPOVであって議論する余地はありません。
- 主観・論評を持つことが悪いと言っているわけではなく、それをウィキペディアの記事として載せることが問題なのです(中立的な観点を熟読ください)。ウィキペディアは個人の論評を載せる場所ではありません。客観的記述が難しいからといって、あなたのPOVを記述するなど論外です。ましてあなたの行動には一貫性が無く、その手段を選ばない行為には疑問を感じざるを得ません。主観・論評があって良いと言いつつ、それが削除されると議論をすることなくその報復としてあなたにとって都合の悪い文言を丸々削除するという行為は理解に苦しみます。
- それと私は200.201.29.20氏の文章を引き写しした覚えはありません。全て自分の言葉で話してます。ただ200.201.29.20氏と意見を等しくするので重なる部分もあるのでしょう。あなたにとっては都合の悪い意見や議論が全て同じに見えるって事なのでしょうね。219.199.116.23 2006年10月21日 (土) 05:56 (UTC)
- 大雑把に言えば、文化大革命やその後遺症に悩むさなかに、海外に眼が向くのかということです。そうした大きな状況のなかで検証することを怠ったままでは、掲載するにはふさわしくないでしょう。
- はじめに中国政府の内部で抗議の検討があって、その動きをとらえていち早く外電として打ったのであれば、報道機関として当然の、普通の仕事です。むしろ他のメディアは何をしていたのか。
- そのような視点を切り捨てている態度は、POVとして問題があると再三申し上げています。
- 私の行動は、複数の観点から記述するのが適切だという点で何も変わりありません。それができないのであれば、そもそも書くべきではないということです。「手段を選ばない」のではなく、その時々の試行錯誤でもあるでしょう。他の方々も、せっかく編まれた書誌以前にまで巻き戻すようなことをなさっておられますし。
- 本当に自分の言葉で話していますか? それにしては語彙も、その使い方も良く似ておられます。
- --わたあめひみつ 2006年10月21日 (土) 12:10 (UTC)
- 「はじめに中国政府の内部で抗議の検討があって、その動きをとらえていち早く外電として打ったのであれば」というのが既に憶測であり、あなたのPOVなわけですよ。何度も言いますが加藤氏の言動が靖国問題に火をつけたという批評が一部にあるのは事実であり、それを記述すること事態に問題は無いし、百科事典に載せる記事としてもふさわしくないとは思えません。当該記事中の「このことが現在にいたる中国などのアジア諸国を巻き込んだ靖国神社問題の発端となった、と指摘して非難する向きも一部にはある。」は「非難する人」もいれば「非難をしていない人」もいるということです。つまり中立性になんら問題は無く、そこにあなたがPOVでしかない「論評」を載せ、それを削除されると当該記事を削除するという暴挙に及んでいることが問題だと言っているのです。それを「その時々の試行錯誤」と解釈するのはかなり無理がありますね。そもそもPOVでしかない「論評」を載せた人から「そのような視点を切り捨てている態度は、POVとして問題があると再三申し上げています」といった文言が出てくること自体、苦笑を禁じ得ません。
- それと本当に自分の言葉で話していますか?とは何を意図してのものでしょうか?私は普段からこのような言葉で話してますよ(もちろん口語は別として)。あなたは私の何をご存知なのでしょうか?似ている似ていないの違いがこの記事にとって、あるいはあなたに何か影響を及ぼすのでしょうか?本記事に関して全く関係ない話を持ち出し、論点をずらしているとしか思えなくそれこそ幼稚ないいがかりです。219.199.116.23 2006年10月21日 (土) 14:56 (UTC)
- 「火付け」「焚き付け」論も、何の証拠もない推測でしかないでしょう。「一部にはある」「向きもある」では、まったくそのまま一面的な取り上げ方であって、あきらかに不公正であり中立でもありません。「一部」とは、どこの一部でしょうか。他の部分はどうでもいいということでしょうか。あくまで言葉のレトリックでしかないものです。そうした文言をもって中立と呼ぶには、無理がありすぎます。
- ご自身の行動にしか注意を払わないようであれば、とても残念です。私としては、当初から包摂主義に基づいて追記をしていたところです。削除という手段を私から用いたのではありません。「削除という暴挙」はあなた自身にこそ、向けられている言葉です。
- 他人の受け売りやエピゴーネンではなく、自分の言葉で語るということは、どんな場合であっても大切なことだと思いますよ。幼稚でも何でもないことです。--わたあめひみつ 2006年10月21日 (土) 15:38 (UTC)
- 当該記事は加藤氏の記事が靖国参拝問題に火をつけたというのが推測か事実なのかを訴えてるものではなく、その記事に対して問題視して非難してる人とそうでない人がいるという意味の文です。どうも意味を取り違えてるようですね。非難してる側とそうでない側の立場を包括している以上、「不公正で中立でない」というのは理解できません。
- 「一部」とは何かとのことですが、CSで放送されたチャンネル桜の「報道ワイド日本」でこの問題について触れております。
- >「削除という暴挙」はあなた自身にこそ、向けられている言葉です。
- 何度同じ話をさせる気ですか?あなたのPOVでしかない論評は記述に値しないと何度言えば理解していただけるのですか?そしてそれが受け入れられないと今度は当該記事を丸ごと削除。これを暴挙と呼ばずしてなんと言うのでしょうか?
- >他人の受け売りやエピゴーネンではなく・・・
- ここまでくると個人攻撃としか考えられなくなりますね。私は自分の言葉で述べてます。他人の受け売り?エピゴーネン?あなたの幼稚な思い込みでしかなく、幼稚ないいがかりを脱していませんよ。219.199.116.23 2006年10月21日 (土) 17:15 (UTC)
- 記事自体は何の問題もないでしょう。良くも悪くも外国の反応を伝えることはあたりまえのことです。問題視するのはなぜかといえば、それが「火付け」になったのではないか、という見方がはじめにあるからです。裏付ける証拠がない以上、現状ではそのような「焚き付け」論はトンデモ説でしかないのです。wikipediaはチャンネル桜の宣伝場所ではありません。偏った主張を紹介するだけで「包括している」などとは、それこそ暴論です。個人攻撃に走っているのはどちらでしょうか。--わたあめひみつ 2006年10月21日 (土) 17:32 (UTC)
- 「幼稚ないいがかり」という表現を用いる必要があるとは思いませんが、靖国参拝問題に火をつけたという論評を付け加える必要があると思えません。まして、それが「悪いこと」のように書かれるのは無茶苦茶です(ジャーナリスト対して「日本国が困るような記事を書くな」と言っているんでしょうか)。そして、それ以前に「火をつけた」か否かが実証不可能です。いずれも辞典記事において言及対象になり得ないと思います。--Iosif 2006年10月21日 (土) 17:37 (UTC)
- 私は当該記事が「悪いこと」のように書かれてるとは思えません。まして、ジャーナリストに対して「日本国が困るような記事を書くな」とも言ってません。ただそのような記事を加藤氏が書き、それに対して問題視してる向きがあるという放送があったことは事実であって、それを隠すのは適当であるとは思いません。「日本国が困るような記事」を書いてもいいわけですから、その賛否についての意見を載せることに問題はないでしょう。
- それとチャンネル桜の宣伝をしてるわけではなく、わたあめひみつさんが「一部」とは何なのか?との質問に答えたにすぎません。それを宣伝とは…。219.199.116.23 2006年10月21日 (土) 18:01 (UTC)
- 「幼稚ないいがかり」という表現を用いる必要があるとは思いませんが、靖国参拝問題に火をつけたという論評を付け加える必要があると思えません。まして、それが「悪いこと」のように書かれるのは無茶苦茶です(ジャーナリスト対して「日本国が困るような記事を書くな」と言っているんでしょうか)。そして、それ以前に「火をつけた」か否かが実証不可能です。いずれも辞典記事において言及対象になり得ないと思います。--Iosif 2006年10月21日 (土) 17:37 (UTC)
- 記事自体は何の問題もないでしょう。良くも悪くも外国の反応を伝えることはあたりまえのことです。問題視するのはなぜかといえば、それが「火付け」になったのではないか、という見方がはじめにあるからです。裏付ける証拠がない以上、現状ではそのような「焚き付け」論はトンデモ説でしかないのです。wikipediaはチャンネル桜の宣伝場所ではありません。偏った主張を紹介するだけで「包括している」などとは、それこそ暴論です。個人攻撃に走っているのはどちらでしょうか。--わたあめひみつ 2006年10月21日 (土) 17:32 (UTC)
- 「別に朝日新聞でなくても、どこかの報道機関がいずれは中国政府の反応について伝えたことでしょう」ということが、あなたが当該部分を削除する理由にはなりませんよね。加藤氏の言動が靖国問題に火をつけたという批評が一部にあるのは事実であり、それを記述することになんら問題はありません。そもそもあなたの、当該部分に自らの主観である論評を付け加えたり、それが削除されると今度はその部分を丸々削除するといった行動に走ったりと一貫性がありません。これでは荒らしとなんら変わりませんよ。さらにこのような議論があるにもかかわらず、「観点」のタグを外すといった行動も理解できません。都合よく事実を取捨選択してるのはあなたのほうです。219.199.116.23 2006年10月20日 (金) 22:33 (UTC)
- 私としては、上記の9月22日の記述を見てもらえればわかるとおり、「一定の政治的立場の人々からどういう評価を受けているのかという客観的な事実」は加藤千洋という人物像を語る上で必要だと考えています。そのためこれまでの編集[1][2]では、論評ではなく「靖国問題に火をつけたと(一部の立場の人々から)の評価がある」、「2ちゃんねらーなどから工作員とあだ名されることとその理由」という立証可能で客観的な事実としての記述にするよう留意したつもりです。にも関わらず一部IPユーザー(おそらく2ちゃんねらー)が自らの政治的立場を表明するかのような編集を行ったり、ログインユーザーが極端な記述を行ったりしたことは遺憾です。また、まだノートでの議論に結論は出ていませんので、みだりに編集することも避けて欲しいと思います--彩華1226 2006年10月23日 (月) 13:02 (UTC)
- 記事に再度追記してみました。「一部の評価」というのは、自分の論評を誰かに託けているという点で客観的でも何でもありません。特定の政治的立場からの評価だけを示すのは、「客観的な記述」には遠いものです。特定の事実のみを取り上げるというのも、とても公平ではありません。本当に完全な「客観的な事実としての記述」とするのなら、これまでに加藤氏が執筆した記事を全てリストにして並べる。それなら誰もが納得します。でも現実的ではないでしょう。それならば、本多勝一の記事のように多くの議論を並べるのが適切です。「一部の評価」というフレーズで靖国神社問題だけに眼を向けさせながら、中国のさまざまな実情について何も考えない、というのではどうしようもありません。靖国が日本の国内問題であり他国に干渉されたくないというのであれば、チベット問題も同じように中国の内政問題です。外交というものが握手しながら机の下で相手を蹴り合うのであれば、靖国でもチベットでもその他諸々についても大いに文句を言い合うのが、普通のありようでしょう。はじめに「靖国問題を誰がどこがいつどのように伝えたか」という狭い着眼点だけがあって、条件に合う加藤氏の記事を引き合いに出す。それは、都合の良い事実だけを選び出しているに過ぎません。チャイナ・スクールだけが対中国外交ではないし、鈴木宗男だけが対ロシア外交でもないのです。バランスを取る努力が受け入れられないのなら、極めて厳密に客観的事実の記述に徹することです。一方の論のみを記述して他方を削除するのではなく、全て記述するか全て削除するか。私としての姿勢に、何も変わりはありません。--わたあめひみつ 2006年10月23日 (月) 17:20 (UTC)
「議論に結論は出ていませんので、みだりに編集することも避けて欲しい」って言ったのがわからないのか。それから、
- >なお、そうした批判には、中国の国内事情(四人組裁判が終結後4年)あるいは日中関係(平和条約を締結後7年)をはじめとした海外との関係、他のマスメディアの動向、など当時の内外の時代状況について多角的な視点が欠落している。また一般論として、さまざまな事象について海外の反応を伝えるのは報道機関として自然なこと、という考え方もある。さらなる検討が必要だろう。
って「わたあめひみつの論評」以外何ものでもないじゃないか。少なくとも百科事典の記事ではない。客観的な記述ができないなら日記帳にでも書いてくれ。--彩華1226 2006年10月24日 (火) 02:12 (UTC)
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- 結論が出ないというのは、編集を禁止する理由にはなりません。また、上のほうでもIosifさんが2006年10月21日 (土) 17:37 (UTC) 付けで
- >ジャーナリスト対して「日本国が困るような記事を書くな」と言っているんでしょうか
- と述べておられます。当たり前に書かれた記事をことさらに取り上げるのかという疑問は、なにも「わたあめひみつの論評」ではありません。
- 「一部の評価」「~という向きもある」という書き方は、Wikipedia:言葉を濁さないにあてはまる、偏った文章です。そういう書き方である視点を提示しただけのまま文章を終わらせるのは、反則でしょう。曖昧な書き方は無条件で一切削除するか、それとも曖昧な書き方に別の曖昧な書き方で追記するか、のどちらかです。客観的な記述はありえないけれども、それに近づくことはできます。--わたあめひみつ 2006年10月24日 (火) 19:56 (UTC)
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- とりあえず、「さらなる検討が必要だろう。」この感想は不必要ですね。自分の論評発表の場ではないので。
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あと、ある特定の人物がこの人物をこうこう、このように批判している。具体的に言うと、チャンネル桜内の番組にて「靖国参拝問題は、加藤記者が火をつけた」という趣旨の発言をコメンテーターがした。という事実を記述するのがなぜ偏った見方なのかが理解できません。また、「一部の評価」を削除してしまうこと自体が一部の少数意見(?)を弾圧し、中立性を疎外すると思いませんか? いっそのこと、「日本文化チャンネル桜の番組内にて、誰々によって~という批判を受けた」という事実のみを記述すればいいのではないでしょうか?反対意見は誰かがそれを発言した時か、既に出ているなら、それを記述すればよいかと。また、番組を見ていない方は一度ご覧になったらよいのではないかということで、動画をおいていきます。リンク先の動画のタイトルは、この動画をアップした方がつけたもので、私の立場を示すものではありません。あと、編集合戦になってるようですが、お互いに落ち着いて相手の発言をきちんと読んで議論をしたほうがよろしいかと思われます。堂々巡りになってますし。ではでわチャンネル桜での批判動画--220.107.140.190 2006年10月26日 (木) 23:57 (UTC)
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- ~と言うように批判された、という事実を書くことがなぜ恣意的・中傷となるのでしょうか。百科事典なのなら、どのような風に言われたという事実を書くことが悪いこととは思えないのでしょうが如何でしょう。文句があるのなら、無言で編集をせずに、ノートで書いてからにして下さい--124.84.25.153 2006年11月5日 (日) 09:23 (UTC)
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[編集] 2006年12月11日からの保護に関連して
保護をお願いした物です。まずは、保護手続きを行っていただき、管理人のFaso氏に御礼申し上げます。 ところで記事に関してですが、編集合戦の際に削除されてしまった以下の部分は記述しても問題ないのではないでしょうか?
- 1985年に北京の特派員であったころ、「中国『日本的愛国心』を問題視」(1985年8月7日付)などの記事で、日本の首相が靖国神社に参拝することで生じた中国での反応を報じた。このことが現在に至る中国などのアジア諸国を巻き込んだ靖国神社問題の発端となったとして、同氏や朝日新聞の報道姿勢を非難する指摘が一部にある。
- ※このような批判については、中国の国内事情(四人組裁判が終結後4年)あるいは日中関係(平和条約を締結後7年)をはじめとした海外との関係、他のマスメディアの動向など当時の内外の時代状況について多角的な観点が欠落している、また一般論としてさまざまな事象について海外の反応を伝えるのは報道機関として自然である、などの観点から疑問を呈する向きも一部にはある。
今回の保護は私見の投稿を繰り返す222.228.113.225氏と、それの修復のためのリバートが繰り返された結果、編集合戦となり保護されたものであり、記述自体に問題があるものではないと考えます。むしろ、この記述を省いてしまうと加藤千洋氏の功績が過小評価されてしまい、内容の薄い記事になってしまうと思うのですが、いかがでしょうか?--Johnny 2006年12月11日 (月) 11:55 (UTC)
- 追記です。上記該当部分はやや読みにくいので、以下のように修正することを希望します。
- 1985年に北京の特派員であったころ、「中国『日本的愛国心』を問題視」(1985年8月7日付)などの記事で、日本の首相が靖国神社に参拝することで生じた中国での反応を報じた。このことが現在に至る中国などのアジア諸国を巻き込んだ靖国神社問題の発端となったとして、同氏や朝日新聞の報道姿勢を非難する向きも一部にはあるが、中国の国内事情(四人組裁判が終結後4年)あるいは日中関係(平和条約を締結後7年)をはじめとした海外との関係、他のマスメディアの動向など当時の内外の時代状況について多角的な観点が欠落している、また一般論としてさまざまな事象について海外の反応を伝えるのは報道機関として自然である、などの観点からその批判に疑問を呈する指摘がされている。
- 以上、よろしくよろしくお願いします。--Johnny 2006年12月11日 (月) 12:16 (UTC)
- 文章が長すぎなので反対。余計読みにくい。--彩華1226 2006年12月11日 (月) 15:53 (UTC)
- なるほど… 個人的には、批判の方が原文で、その批判に対する指摘が※付きで記載されていると、批判の方が主流でその指摘が少数であるというニュアンスを与えかねず、中立性に疑問が残るとも思ったのですが、その点いかがでしょうか?--Johnny 2006年12月11日 (月) 17:18 (UTC)
- 保護を行う際には、保護時点の最新版にて保護を行います。法的に問題がある場合を除いて差し戻しての保護は恣意的と見られるため行っておりません。加筆及び修正が必要であれば、合意形成の上管理者伝言板での加筆依頼か保護解除依頼をお願いいたします。--Faso 2006年12月16日 (土) 23:33 (UTC)