劉辟
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劉辟(りゅうへき ?-200年?)は、後漢末の黄巾党の武将。
劉辟は、黄巾党の武将だったが、張角が死に、黄巾党が滅ぶと残党となり、汝南で龔都と共に暴れまくり、討伐に来た曹洪を苦しめる。その後、袁紹に帰順。曹操を共に攻めようとするが、 そこへ来たのが、まだ曹操の寄人だった関羽だった。まだ劉備は袁紹の下にいたから、当然劉備のもとへ戻る人であるため、内情を伝え、わざと負けて汝南を取らせて、すぐまた取り返した。 その後、劉備を迎え、関羽ら劉備配下の諸将を迎え入れ、劉備軍として勢力をのばす。 引き続き汝南を守るが、曹操と袁紹が戦っている隙に許都をつかんとしたが、夏侯惇に攻められ、城を放棄し逃げる。その後、敗残の兵千余騎を集め、劉備のもとに駆けつける。前後を絶たれ、自刃しようとする劉備を引き留め、血路を開こうとするが、高覧に討ち取られた。