初天神
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『初天神』(はつてんじん)は、古典落語の作品である。毎年1月25日に天満宮で行なわれる年の初めの祭りに出掛けた、父親と息子の絆を描いた物語である。3代目三遊亭円馬が大正期に、上方落語の作品を東京落語に移植して成立した。正月に好んで披露される作品である。
息子に振り回されて困惑気味の父を、やや冷めた目線で、シニカルに風刺的に描いている。ダスティン・ホフマンの名作『クレイマー、クレイマー』(1979年)にも通ずる、この世界観が秀逸である。
またそれぞれのエピソードごとにオチがありどの箇所でも下げられるようになっており時間調整のための噺という用途もある。このため最後のエピソードまで演じられることはそれほど多くはない。
[編集] 物語
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
良く晴れた1月25日、男が天満宮に参拝に出掛けようとした。すると妻は、息子も連れていってくれと頼む。男は、息子が好きな物を買ってくれと頼むのが分かっていたので、全く乗り気ではなかった。それでも息子にどうしてもついて行きたいと懇願されて、渋々連れていくのだった。
天満宮への道を歩きながら、父は息子に買い物を強請るなと念を押す。しかし息子は直ぐさま買い物を催促しだす。様々な果物を買えと催促するが、父は体に毒だからと、無理な理屈で拒否する。しかし、息子が余りに煩いので口塞ぎの為に、止むを得ず飴玉を買い与える。飴を与えられて御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。
二人は天満宮の参拝を終えた。息子は、凧を買ってくれるよう催促する。この時父は、子供の純粋な無邪気さを見た。今度は一切拒否する事無く、凧を出店で買い与え、天満宮の隣に有る空き地に息子を連れて行く。
凧揚げを楽しんだ昔を懐かしく思う父は、自ら率先して凧を揚げる。まるで幼い少年の様に楽しんでいる。息子は自分にも凧を揚げさせてくれるよう懇願するが、凧揚げが楽しくて仕様が無い父は、一向に凧を渡そうとしない。無邪気に遊ぶ父の姿を見て呆れた息子は、その父を最初から参拝に連れて来なければ良かったと思うのだった。
[編集] 息子の造形
息子を、非常に生意気な悪餓鬼として描く落語家も居る。これと正反対に、天使の様に無邪気で可愛い子供として描く落語家も居る。演ずる者に依って、息子の人格も異なるのだ。
[編集] 団子
父が息子に団子を買い与える場面も有る。先に父が団子を散々舐めて、その舐め終えた団子を息子に上げるのだ。この場面を、汚くて不快であり、話すべきではないとする意見もある。この部分を割愛する落語家も多い。