凌操
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凌操(りょうそう、?-203年)は、中国、後漢末の武将。凌統の父。
呉郡の人。剛毅果断な人物であり、武勇に秀でていたという。孫策が楊州に攻め込んできたとき、それに馳せ参じて配下となった。孫策にその武勇を気に入られ、常に孫策軍の先鋒を務めたという。そしてその功績により、永平県の太守に任命されている。
その後も南の山越討伐などで功績を挙げ、破賊校尉に昇進した。200年、孫策が死ぬと孫権に仕える。そして203年、孫権が黄祖討伐の軍を起こしたときも先鋒を務めて活躍したが、当時黄祖の配下であった猛将・甘寧に迎え撃たれ、矢で射殺された。このとき、凌操を殺したのは甘寧ではなく、流れ矢に当たって戦死したとも言われている。