六郷政晴
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六郷 政晴(ろくごう まさはる、延宝3年(1675年) - 寛保元年3月27日(1741年5月12日))は、出羽本荘藩の第4代藩主。父は第3代藩主・六郷政信。母は牧野康成の娘。正室は牧野成貞の養女(成貞の妻大戸阿久里の妹)。官位は従五位下。伊賀守。阿波守。
幼名は庄之助。1685年、父の死去により後を継ぐ。百姓一揆が起こって、仁賀保の領民と争っている。1735年閏3月2日、子の六郷政長に家督を譲って隠居し、1741年3月27日に67歳で死去した。法号:善性院法誉祖蓮。墓所:東京都台東区西浅草の万隆寺。
- 六郷氏(本荘藩4代)藩主
- 1685~1735
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- 先代:
- 六郷政信
- 次代:
- 六郷政長