六車卓也
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六車卓也(むぐるまたくや、1961年1月16日 - )は大阪府大阪市出身の元プロボクサー。元WBA世界バンタム級チャンピオン。大阪帝拳ジム所属。近大付属高校~近畿大学理工学部卒業
後退を知らない積極果敢な攻撃スタイルから、「エンドレス・ファイター」との異名を持った。その名が示す通り、豊富なスタミナと力強いチャージが売り物のアグレッシブなボクサーだった。なお、トランクスには「MUSHA」とプリントされている。得意の左ストレートは「槍の左」と呼ばれた。
最終戦績は31戦26勝(20KO)3敗2分。
エンドレスファイターの由来 当時関西ローカル局ではあるが、一世を風靡していた深夜番組「エンドレスナイト」 に出演しエンドレスナイトをあげて六車応援大作戦を展開していたことから、エンドレス ファイターと名づけられた。実際世界戦ではエンドレスナイト製スポーツタオルをトレー ナーやスタッフが使用している。
女性ジャッジへの不信感 世界再挑戦、対ウイルフレド・バスケス戦は終始六車が相手をロープに詰め最終ラウンド まで戦った。誰もが六車の王座再奪取と思っていたが、結果は三者三様の引き分け、このと き唯一バスケスに付けたのが、アメリカの女性ジャッジ、パトリシア・ジャーマン。試合後 のコメントは「六車は手数とアグレッシブな点では勝っていたが、顔が腫れすぎ。私はボク サーの腫れあがった顔は好きではない、だからバスケスに付けた」と試合後コメントして いる。正当なジャッジをされていれば六車の世界王者返り咲きだっただけに、非常に残念な ジャッジであった。
[編集] 略歴
- 1981年4月9日プロデビュー。2RKO勝ち。
- 1982年2月15日、杉谷満と戦い判定勝ちで全日本フェザー級新人王獲得。
- 1983年11月29日、岩本弘行に4R終了TKO勝ち収め日本ジュニア・フェザー級王座獲得。
- 1985年3月9日、東洋スーパーバンタム級王者崔然甲(韓国)に挑戦、12R判定負け。
- 1986年2月6日、オサム一雄に5RKO勝ちで日本ジュニア・フェザー級王座の7度目の防衛に成功。
- 1987年3月29日、世界ランキング2位のアサエル・モラン(パナマ)との王座決定戦に5R2分50秒TKO勝ちしてWBA世界バンタム級王座獲得。
- 1987年5月24日、初防衛戦で朴讃栄(韓国)に11R1分26秒TKOで敗北し王座を失う
- 1988年1月17日、ウイルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑戦。12回三者三様の引き分けで王座奪還ならず。
- 1988年10月16日、WBA世界スーパーバンタム級王者のフェン・ホセ・エストラーダ(メキシコ)に挑戦。11R2分07秒TKO負けで敗北。
前王者 アサエル・モラン |
第10代WBA世界バンタム級王者 1987年3月29日 - 1987年5月24日 |
次王者 朴讃栄 |