佐藤忠秀
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佐藤 忠秀(さとう ただひで、生年不詳 - 天正4年(1576年)?)は,戦国時代の武将で,白河結城氏の家臣。忠量の子で,忠経,忠泰,忠直,忠久の父。大隅守。別名は忠胤。
諸国遍歴していた所を結城義綱(または晴綱)に呼び止められ白河結城氏に仕えた。
智勇に優れ,伊達氏との交渉に当たったほか,佐竹氏との合戦では軍師役を務めた。
天正4年(1576年),佐竹氏に奪われていた支城赤館城の奪還戦では軍団の総大将を務めた。忠秀は夜襲を決行し,一度は城の奪還に成功するが,後に再び佐竹氏に大軍をもって奪われてしまう。
最期は佐竹氏との戦いの中で戦死したと言われている。