京極高備
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京極 高備(きょうごく たかまさ、宝暦7年4月22日(1757年6月8日) - 天保6年5月3日(1835年5月29日))は、丹後国峰山藩の第7代藩主。父は第6代藩主・京極高久。母は木下利潔の娘。正室は土方雄端の娘と本多康恒の娘。官位は従五位下。周防守。
1757年4月22日、江戸にて生まれる。幼名は千之助。1788年、父が若年寄になると藩政を取り仕切る立場になった。1808年、父の死去により家督を継ぎ、大番頭を務めた後の1812年2月から若年寄に任じられて幕政に参与した。藩政では検地や寺社統治に尽力している。1832年11月20日、家督を子の京極高倍に譲って隠居したが、その高倍とさらにその後を継いだ息子の京極高鎮がわずかな間に自身に先立って次々と早世するなど、不幸な晩年の中で1835年5月3日に死去した。享年79。墓所:中郡峰山町吉原の安泰山常立寺。