井本隆
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井本 隆(いもと たかし、1950年11月21日 - )は、昭和後期(1970年代後半~1980年代前半)のプロ野球選手。近鉄バファローズ、ヤクルトスワローズで活躍した投手である。
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[編集] 来歴・人物
高知県高岡郡に生れる。高知県立伊野商業高等学校を卒業後、鐘淵化学に進む。実業団時代に速球投手として頭角を現し、1972年のドラフト会議で近鉄から3位指名され、1973年入団。
打者の内角をえぐる鋭いシュートを有効に使う強気のピッチングで、主戦級として活躍。特に、1979年、1980年のパ・リーグ2連覇には、エースとして活躍。2度の日本シリーズでは、鈴木啓示を押しのけて第1戦に先発した。1979年の日本シリーズでは2勝(1敗)を挙げ、優秀選手に選出された。
その後、タレント横山エミーとの不倫問題が週刊誌の紙面を賑わすことが多くなり、心機一転の意味もあり、在京チームへの移籍を希望し1982年オフに、鈴木康二朗・柳原隆弘両選手とのトレードで、ヤクルトに移籍する。しかしセ・リーグでは、シュートが通用せず1984年限りで引退した。また、同年横山エミーとも離婚した。交換トレードで近鉄に移籍した、鈴木と柳原が、抑え投手と手薄な右の代打として活躍したのとは対照的だった。
現役時代は、宮尾すすむ似の顔でも知られた。
[編集] 通算成績
- 320試合 81勝 75敗 8セーブ 8セーブポイント 625三振 防御率4.08
[編集] 著書
- 井本隆のプロ野球ぶったぎり(KKベストブック)