井上八千代
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井上 八千代(いのうえ やちよ)は、京舞井上流の家元の世襲名。
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[編集] 三世 井上八千代
本名・片山春子(1838年- 1938年9月7日 旧姓 吉住)。井上流初代家元 井上サタ、二代家元アヤに師事する。夫は能楽シテ方観世流七世片山九郎右衛門。1872年(明治5年)の都をどり創設にあたっては振付ならびに指導を担当、これまで座敷舞であった京舞を舞台にのせ、また祇園町と井上流の関係を深めて流派を興隆にみちびいた。四世井上八千代、松本佐多はじめ多くの弟子をそだてている。なお家元名 井上八千代をなのるのは96歳の時で、それまでは片山春子で通していた[1]。後述のとおり、孫の片山博通の妻が四世井上八千代である。北条秀司の戯曲「京舞」は、三世八千代と四世八千代を主人公としている。
[編集] 四世 井上八千代
本名・片山 愛子(1905年5月14日 - 2004年3月19日)
後年隠居して初代井上愛子を名乗る。夫は片山博通(八世片山九郎右衛門)。子に九世片山九郎右衛門(博太郎)、片山慶次郎、杉浦元三郎(いずれも能楽シテ方観世流)。 人間国宝認定。芸術院会員。日本芸術院賞、芸術祭賞等を受賞。文化勲章受勲。
代表作は「長刀八島」、「海士(あま)」、「鉄輪(かなわ)」、「信乃」ほか
[編集] 経歴
- 1905年、京都に生まれる
- 1908年(3歳)、三世 井上八千代に入門
- 1919年(14歳)、名取。井上愛子を名乗る
- 1923年、八坂女紅場学園舞踊科教師になる
- 1931年、三世家元の孫、観世流能楽師片山博通(八世片山九郎右衛門)と結婚
- 1947年、家元、四世井上八千代を襲名
- 1952年、日本芸術院賞 受賞
- 1955年、人間国宝に認定
- 1957年、日本芸術院会員に選ばれる
- 1976年、勲三等宝冠章
- 1990年、文化勲章
- 2000年、孫の井上三千代に家元の名を譲り、「井上愛子」に戻る
- 2004年、老衰により死去。享年98。
[編集] 五世 井上八千代
本名・観世三千子(1956年- )。襲名前の名前は井上三千子。 1956年、四世井上八千代を祖母、九世片山九郎右衛門(能楽シテ方観世流)を父に京都に生まれる。夫は九世観世銕之丞(能楽シテ方観世流)。娘に井上安寿子。 社団法人・日本舞踊協会役員。
[編集] 経歴
- 1956年、京都に生まれる。
- 1959年(2歳)、舞の稽古を始める
- 1970年(14歳)、名取
- 1975年、私立ノートルダム女学院高校卒業。学校法人「八坂女紅場学園」(祇園女子技芸学校)の舞踊科教師になる
- 1999年、日本芸術院賞受賞
- 2000年、家元「井上八千代」を襲名
[編集] 脚注
[編集] 参考図書
- 『京舞井上流家元・三世井上八千代(祇園の女風土記)』遠藤保子著 リブロポート社 1993
- 『井上八千代芸話』片山慶次郎 昭和42年 河原書店発行