五重塔 (大石寺)
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静岡県富士宮市の大石寺の五重塔(ごじゅうのとう)は享保年間に、第26世日寛が「東洋広布」を望み、徳川6代将軍家宣夫人、天英院とともに起塔の志を立てその基金を残した事に始まる。その後、第31世日因が庶民に仏道に入るように勧めて得た寄金と、亀山城主・板倉勝澄の供養によって、1749(寛延2)年6月に建立された。内部には、31世・日因が1749年2月28日に書写した本尊が安置されている。
大石寺における堂宇(堂の建物)はすべて南向きに立てられ、須弥壇(仏像を安置する台)は本堂の北側に安置され、本尊が南側から太陽の光を浴びるように作られている。これは、日本古来の「君子南面」(南に向かって座るのが上座)の風習にならったものである。
しかし、この五重塔に限っては、日蓮の「月氏の仏法(月氏=インドの意、すなわち釈迦仏法のこと)は西から東にわたってきたが、久遠元初の本法である日蓮の仏法は東から西(日本から中国・インド)に広まる」(諌暁八幡抄趣意)という記述を受け、大石寺境内で唯一西向き(中国・インド向き)に立てられている。
昭和41(1966)年6月(66世日達の代)、国の重要文化財に指定された。この翌年には修復工事が行われた。
東海道一の規模で、高さは34m。
毎年2月16日(日蓮の誕生日)には五重塔を開け、法主の大導師による「御塔開き」のお経が行われる。