于吉
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琅邪の道士。その先祖以来、東方に萬居をし、呉会(呉郡・会稽一帯)を行き来して精舎(道教徒の集まる教会)を建て、香を焚き道教経典を誦読し、符や神聖な水を用いて病気の治療を行っていた。呉会の人々には彼を信仰するものが多かった。 順帝のときのこと、曲陽の水辺で白い絹に朱の罫を引いた神書『太平清領道』百余巻を手に入れたとされる。
[編集] 三国志演義
『三国志演義』では孫策が怪我の療養中、呉郡の城門の楼の上で、部将や賓客たちを集めて会を開いた。 于吉は、ちょうどそのとき、盛装をし、漆で絵が画かれた小さな函を地に引きずりながら、その門の下を小走りに通り過ぎた。部将や賓客の三分の二までが、楼を降りて于吉を出迎えて礼拝し、宴会係の役人が大声を挙げてそれを禁じてもやめさせることができなかった。孫策は、ただちに命令を出して于吉を捕らえさせた。于吉を信仰する者たちは、みな妻女たちを孫策の母親のもとにやって、彼の助命を請わせた。孫策は于吉に「干ばつが続いているから雨を降らせてみろ。降らせることができたら命を助けてやる」といい、于吉は祈祷を行った。結果雨は降り、部将たちはこれで于吉は助けられると思ったが、孫策は于吉を殺してしまった。しかしみな于吉が死んだとは信じなかった。于吉の遺体はその夜消えてしまった。于吉が死んで以後、孫策が鏡を見ると于吉の姿が見えた。後ろを振り返っても誰もいない。そこで鏡を殴りつけて絶叫した。傷口が裂けてまもなく死んだ。
演義の話は、『捜神記』の記事を元にしている。