丹後王国
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丹後王国(たんごおうこく)は古墳時代、丹後地方(今の京都府京丹後市辺り)を中心に、ヤマト王権などと並び独立性をもって存在したとされる王国の通称。門脇禎二が「丹後王国論」として提唱した。丹後国は後年に丹波国から分国したものであるため「丹波王国」とも言われる。
門脇禎二によれば、丹後王国は4世紀中・末期頃から5世紀が最盛期。6世紀中頃ヤマトの出雲征討に伴いヤマト王権の支配下に入っていったと想定している。
[編集] 背景
丹後地方は大型古墳が集中(網野銚子山古墳、神明山古墳、蛭子山古墳)していることや、近年の発掘調査などから、古代に独自の勢力が存在し繁栄していたことが分かっている。また丹後国には「丹波郡丹波郷」が存在したため、ここが古代丹波(丹波国+丹後国)の中心地であったと考えられる。
[編集] 関連文献
- 門脇禎二 「丹後王国論序説」『日本海域の古代史』 東京大学出版会、1986年
- 伴とし子 『古代丹後王国は、あった - 秘宝『海部氏系図』より探る』 MBC21京都支局・すばる出版、1998年
- 伴とし子 『前ヤマトを創った大丹波王国 - 国宝「海部系図」が解く真実の古代史』 新人物往来社、2004年
[編集] 関連項目
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