中野武彦
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中野 武彦(なかの たけひこ、1927年 - 2004年9月5日)は、大阪市出身の小説家。東京大学仏文科を卒業後、電通に勤務しながら、「針槐」「公孫樹」などの作品を書いた。作家の佐多稲子、埴谷雄高らと交友を深め、「新日本文学」などに文芸評論も寄せた。
[編集] 著書
- 針槐
- 公孫樹
- 樟樹
- 訪問看護
昭和2年、大阪市東区内淡路町にある、船場で古くから続く薬種問屋の三男坊として生まれる。昭和14年、中学校入学と同時に、甲子園口に転居。旧制広島高等学校に進学するが、この頃から、甲子園口の自宅近くに住む、若き日の畔柳二美との親交が始まる。以降、東大仏文科を卒業し、電通に勤務しながら、約20年間、二美との共同生活を送る。この間、二美は代表作「姉妹」で文壇デビュー、旺盛な作家活動を続けるが、昭和40年、癌性の腹膜炎で没する。武彦は、常変わらず、二美の精神生活を支える誠実な同伴者であった。 「樟樹」には武彦の幼少年期、「針樹」には中等学校時代の生活が描かれ、「公孫樹」は二美の闘病記となっているが、佐々木基一はこれら三部作に対して、「プルーストだね」との感慨を述べたという。
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