中村和裕
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中村和裕 | |
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基本情報 | |
あだ名 | 吉田道場のヤワラ君 |
階級 | PRIDEミドル級 |
誕生日 | 1979年2月21日 |
出身地 | 広島県福山市 |
現在地 | 日本 |
スタイル | 柔道 |
戦績 | |
総試合数 | 16(PRIDE) 06/11/21現在 |
総勝利数 | 11 |
KO勝ち | 2 |
一本勝ち | 2 |
判定勝ち | 7 |
総敗北数 | 5 |
KO負け | 2 |
一本負け | 2 |
判定負け | 1 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )は、広島県福山市出身の総合格闘家。吉田道場所属で、バックボーンはボクシングと柔道。柔道でも、100kg級であの井上康生、鈴木桂治らと肩を並べ、全日本強化選手入りを果たしたほどの実力者。一度K-1にも参戦しており、堀啓相手に敗れはしたものの、20cmも身長が高い堀相手に的確なアッパーと粘り強さで善戦した。
打撃を多く取り入れたり、柔道着を完全に脱いで試合をするなど、他の柔道出身の総合格闘家(吉田秀彦など)と比べ総合格闘家としての意識が高く、また総合格闘家として完成してきているといえる。
また、本格的にボクシング技術を身につけており、師匠吉田が「スパーで寝技に入ったら、力の差を思い知らせている」というと、「スタンドでは僕がボコボコにしてるんですけどね」とストライカースキルの高さをアピールしている。
師匠である吉田秀彦に続いて、『PRIDE 25』でプロ格闘家としてデビューを果たす。 アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ相手に破れはしたが、ノゲイラを豪快に投げ飛ばすなど見せ場を作った。
その後、ダニエル・グレイシー、ムリーロ・ブスタマンチといった世界の強豪を次々と破り、日本人でありながら、世界トップクラスの実力であることを証明。
そして自らGPの台風の目になると宣言して臨んだ『PRIDEミドル級GP2005』。開幕戦では、元UFCヘビー級王者にして、前年のヘビー級GP開幕戦でミルコ・クロコップを失神させ、大番狂わせを演じた正真正銘の強豪ケビン・ランデルマンを相手に、終始試合を優位に進めて判定勝利。 続く2回戦では、“ミドル級絶対王者”ヴァンダレイ・シウバと対戦。日本人として初めてシウバに黒星をつけられるのではないかと期待されていたが、自らの油断(試合中に柔道着を脱いだ)でKO負け。このとき道着を脱いだのは、試合前から計画していた事で、Qちゃんこと高橋尚子がサングラスを投げるのをオマージュしたと後に語っている。また、その隙に攻撃をしかけたシウバに対して、「空気を読まずに卑怯だ」とジャンクスポーツで語ったが、周囲からは自業自得だと言われていた。
しかし、リザーブマッチでは、PRIDEの代名詞ファイターイゴール・ボブチャンチンに危なげなく勝利し、やはり世界トップクラスの実力であることを見せつけた。 また、この勝利で日本人初のボブチャンチン越えをはたした。
その後に行われたPRIDE男祭りではパンクラスの近藤有己を相手に大苦戦を強いられたが薄氷ともいえる勝利を手にした。
2006年2月26日のPRIDE31ではジョシュ・バーネットと対戦したが両足を破壊され、一本を取られ敗れた。
2006年2月26日のPRIDE無差別級グランプリ2006決勝戦で中尾芳広と対戦。両者が噛み合わず低調な試合となり、判定において3-0で勝利したものの、会場から激しいブーイングを浴びた。さらに、試合後の高田延彦に「最低とは言わないが、あのような試合を見なければならないハメになってしまったことは課題と受け止めて、今後に向けてはしっかり修正していきたい」と苦言を呈された。
2006年10月21日のPRIDE32ではトラヴィス・ガルブレイズを膝蹴りで沈めKO勝利。復活に向けて一歩を踏み出した。
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