中山忠親(なかやまただちか.天承元年(1131年)頃 - 建久6年3月12日(1195年4月23日))は平安時代の公卿、通称を中山内大臣といい、中山家の始祖。藤原忠宗の次男で、母は藤原家保の女。祖父は藤原家忠。『山槐記』の作者。
比叡山大衆の訴えで、藤原師高、近藤師経等を処罰した。1191年(建久2年)に内大臣に就任。1194年(建久5年)に出家して静和と号した。
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